▼夫婦関係の悩み(カサンドラ症候群を中心に)

深刻化するカップル間の問題

           岡田尊司『カップル愛着改善プログラム』のイントロダクションより


 夫婦やパートナー間の問題が、近年一層深刻さを増しています。カウンセリングに助けを求めてくるケースも急増しています。

その中には、関係を改善・修復したいというケースから、関係を清算したいがいろいろな事情で踏ん切りがつかない、決めかねている、自分でもどうすればいいかわかない、などといったケースまで、さまざまな段階があります。

また、近年、パートナーからの共感的なかかわりや支えが不足することで、もう片方のパートナーに心身の不調や怒り、感情の爆発、うつなどが出現するケースが注目され、「カサンドラ症候群」と呼ばれています。カサンドラに限らず、パートナー間の関係悪化は、本来最大の支援者であるべき存在が、逆にストレス要因になることでお互いの力をそぎ、パフォーマンスを低下させます。共感や優しさといった「普通の」思いやりや助け合う関係を期待していっしょになったのに、気楽に会話をかわすことさえない日々に、人間としての尊厳を奪われるほど傷ついていることも多いのです。ただ、アスペルガーや回避型の夫の方ばかりが、妻のストレスの原因として非難されがちですが、そうした特性を持つ夫の側からすると、理解されず責められてばかりいるという状況に置かれ、努力しても否定されるばかりで、すっかり途方に暮れているというケースもあります。どちらもが不幸な状況に陥っているのです。

夫にまったく共感性がないばかりか、自分の問題を一切顧みることなく、自己正当化するばかりで、何とか良い関係をと努力していた妻も、愛想をつかしてしまっているという場合もあれば、妻が不安型で、夫に対する期待が大きすぎ、少しでもそれに反すると責められたり、イライラをぶつけられ、夫が妻の「サンドバック」状態になっているケースもあります。別居してやっと楽になったというケースもあります。

どちらが、加害者、被害者とは言い難いことも多いのです。そもそも愛着は相互的な現象なので、一方だけが損をするというよりも、どちらにとってもマイナスが生じていると言えます。



従来の手法の限界を超えて

そうした状況を踏まえ、パートナー間の問題に対して、有効かつ適正なサポートを行えるかどうかは、クライエントの残りの人生を左右するとも言えます。

それに対して、さまざまなアプローチが行われてきました。DVや虐待などの相談でしばしば用いられるアプローチは、司法モデルに基づくものです。DVは犯罪なので、犯罪を行う加害者から被害者を守るという視点がベースにあります。避難させ、匿い、関係を絶たせるという方向に進みやすいといえます。DVを行った夫に対するときも、加害者としての自覚と反省、更生のためのプログラムに取り組むという進め方で,夫個人の問題として扱われます。

そうした対応が必要なケースもありますが、こうした方法をどのケースにも当てはめてしまうと、実態と乖離し、改善に役立たないどころか、十分に修復可能な関係まで破壊してしまいます。DVプログラムを受けている夫を、妻は些細なことで責め続け、「少しも反省していない」「何も変わっていない」と罵り続け、夫はじっと耐えていたのが、ついに耐え切れなくなって爆発してしまい、「何も変わっていない」ことを証明してしまうということも起きてしまいます。

また、関係修復の方法として、カップルカウンセリングの手法が長年使われてきました。確かに有効な方法なのですが、カップルカウンセリングに来ることができるケースは、問題の共有がある程度できた、救いのあるケースだと言えます。深刻なケースほど、パートナーの理解や協力が得難く、一人で苦しんでいるということが多いのです。

そうしたケースにも対応でき、より汎用性、有効性高い方法はないのかということが、喫緊の課題だと言えます。

そうしたニーズに応える方法が、これから学んでいただく愛着アプローチに基づく「カップル愛着改善プログラム」です。この方法は、当センターが得意とする親子関係の修復の手法を、夫婦関係の改善に適用することで生まれました。

関係を終わらせるという選択をすることも、ケースによっては必要ですし、そのプロセスを支えることもカウンセリングの重要な役割ですが、そちらに偏らず、どうしたいのかを十分に見極めたうえで、関係改善や修復の可能性を追求する方法だと言えます。

 

カップルの問題への介入の基本的な流れ

当センターでパートナー関係を扱う場合の基本的な流れを、図に示しています。

パートナーのどちらが相談にこられても(カップルで相談に来られても)、基本は同じです。

全体を貫く基本的な考え方は、愛着モデルに基づいて、安全基地機能を高め、愛着を安定化させることで、重要な他者(この場合は、パートナー)との関係を改善するだけでなく、二次的に生じていた問題・困難を改善し、さらには、各人のもつ潜在的な能力を最大限発揮させるのを助けることになるという愛着アプローチの回復理論に拠っています。

医学モデルでは、症状を呈している人を患者とみなし、症状を引き起こしている病気を治療することで、問題の改善を図ろうとします。司法モデルでは、犯罪を行っている人を犯罪者(加害者)とみなし、本人の責任による問題として、隔離、罰、矯正を行おうとします。

それに対して、愛着アプローチでは、問題行動や症状の改善ではなく、愛着関係の改善を目標に据えます。問題行動や症状に目を向け、そこを問題視することは、愛着関係の改善にはマイナスに働いてしまうことが多いからです。しかし、真面目な人ほど、つい問題行動や症状を何とかしようとしてしまいます。その結果、本人を否定したり、責めたり、プレッシャーをかけたりしがちで、関係は余計に悪くなり、事態をいっそうこじらせてしまうのです。

 愛着アプローチでは、問題行動や症状は、その人がどれくらい支えられているかのバロメーターであり、助けを必要としているSOSのサインだと考えます。問題行動や症状だけを取り去ることができる方法が仮にあったとしても(薬物による対症療法はその代表です)、そうすることは、鳴り響いている火災報知機の電源を切ってしまうようなもので、何の根本的な改善にもならないどころか、改善するチャンスを失い、もっと致命的な事態を引き起こしてしまいかねず、その短絡的な方法(たとえば薬物)に依存させてしまう危険もあります。

 愛着アプローチでは、まったく逆に、問題行動や症状は一旦おいておいて、愛着関係の改善に取り組むことを優先します。それによって、問題行動や症状もいつのまにか軽減し、なくなってしまうことも多いのです。かなり劇的にそうした変化が起きることも珍しくありません。

 愛着アプローチにおけるパラダイムシフト

 カップル、パートナー関係の問題も、愛着アプローチが有効な領域です。カップル関係、パートナー関係の情緒的な安定を維持しているのが、まさに愛着の仕組みだからです。

 愛着が安定して盤石であれば、信頼関係は維持されやすいと言えます。さらに安全基地として機能することで、本来の自立や高いパフォーマンスを助けることにもなります。逆に、愛着が不安定になってしまうと、それ以外の結びつき,たとえば経済的依存関係は、つながりを引き延ばすことにはなりますが、本来の自立を妨げる束縛ともなってしまいます。

 カップル間の愛着関係がほころびだすとき、さまざまな問題行動や症状が生じます。男性側に多いのは、不機嫌な態度、暴言、暴力、無視、家族に対する無関心、非協力、アルコールやギャンブル依存、浪費、不倫、風俗依存などです。一方、女性の側に多いのは、イライラや情緒不安定、うつ、不安、過呼吸、心身症(メニエール症候群、片頭痛など)、夫への拒否反応、買い物依存、過食などです。

 それらの問題行動や症状の方に目が向きがちですが、それは愛着が不安定となった結果に過ぎないともいえるのです。問題行動や症状だけを問題して、そこだけを治療しようとしても、うまくいくはずがありません。問題なのは、不安定になった愛着の方であり、問題行動や症状は、それに対する悲鳴とも言えるからです。

 そうしたメカニズムを踏まえて、愛着アプローチで夫婦間の問題を改善していく場合には、問題行動や症状はスルーして、関係を良くする関りを増やすことを目標に据えます。この視点の逆転が、改善のカギを握る非常に重要なポイントとなります。

 相手に対する拒否感が一見強まっていても、心のどこかでは、相手の愛情や優しさ、思いやりを求める気持ちが残っているということが結構あるのです。怒りや憎しみにとらわれているような場合でさえ、求める気持ちがあったからこそ、怒りも強いということが多く、心のどこかでまだ逆転ホームランを待っていたりするのです。気持ちがもうなくなってしまったのかどうかを見極める中で、そうした逆転が起きることもあれば、二人の愛情と関係は、終わるべくして終わったのであり、これから自立した新たな人生へと踏み出す時がきたのだと、決意が明確になることもあります。どちらなろうと、前に進んでいくためには、大切なプロセスなのです。







カサンドラ症候群

           岡田尊司著『カサンドラ症候群』より 無断引用、転載を禁じます 

※掲載には、著者より特別な許可をいただいています。

 

 幸福な結婚をしたはずが

 知花さん(仮名)が、五歳年上の先輩だった重俊さん(仮名)と親しくなったのは、二十代も終わりが近づいた頃のことだった。あまり口数は多くないが、真面目で、きちんとした重俊さんに対して、悪い印象はなかった。重俊さんは、黙々と仕事をするタイプで、技術力が売りの社内でも専門技術に関しては定評があり、周囲からも一目置かれる存在だった。それに、少し年が離れていたが、年齢よりも若く見え、顔立ちも端正で、知花さんの好みのタイプだった。

社内の飲み会で、たまたま重俊さんと席が一緒になったとき、知花さんは、思い切って「交際している人がいるんでしょ?」と聞いてみたが、「いないですよ」と、困ったような笑いが返ってきた。アプローチしたのは、知花さんの方からだった。デートのときも、話をするのは九割がた知花さんで、たまに重俊さんがする話と言えば、仕事の技術的な話か、車の話だった。重俊さんの唯一の趣味が、車の雑誌を眺めることだった。

重俊さんの話は、知花さんには退屈だったが、一生懸命難しい技術的な話をしようとする重俊さんの姿勢に、本当に真面目な人なんだなという思いを強めた。横暴で酒癖の悪い父親に、母親が苦労させられるのを見て育った知花さんは、真面目で優しい人を夫に選びたいと思っていたのだ。

 だが、三〇歳を目前にしても、一向に結婚の話が出ないことに焦()れ始めていた知花さんから、「私のことをどう思っているんですか?」と切り出す形で、重俊さんもようやく、結婚して一緒に人生を歩みたいと言ってくれた。そのときは、天にも昇るような気持ちだった。

 新婚の頃は、幸福だったと言える。重俊さんの話は相変わらず自分の仕事のことばかりだったが、知花さんの話をよく聞いてくれたし、とてもまめなところがあり、掃除や洗い物は、知花さんよりずっと丁寧で、休みの日には、家中の掃除や皿洗いを率先してやってくれた。

ただ、その頃から困っていたのは、重俊さんが神経質で、BGMの鳴っているところに行きたがらないことと、予定外のことが起きると、いつもは穏やかな重俊さんが、別人のように不機嫌になることだった。

 それでも、息子が生まれる頃まではお互い余裕があり、知花さんも重俊さんのことが最優先だったので、滅多にケンカをすることもなかった。だが、子どもができると、そうもいかなくなった。重俊さんは出張が多かったうえに、実家まで気軽に帰れる距離ではなかったため、育児の負担は知花さんにのしかかった。重俊さんが帰ってくるのを待ち構えたように、泣き言を聞いてもらってどうにか紛らわしている状況だった。ただ、話を聞いてはくれても、夫はどこか他()()(ごと)のような態度で、妻の苦労を本当にわかってくれているのかと、疑いたくなることもあった。

新婚の頃ほど家事もやってくれなかった。以前なら、出張に出ていても、毎晩必ず電話がかかってきて、様子を聞いてくれていたのが、次第に電話がないことの方が多くなった。やっと帰ってきたと思っても、部屋にこもってパソコンで仕事をしたりするのだった。

 ただ、重俊さんの方にも事情があった。役が上がって責任が増えていたのだ。知花さんは、仕事が大変だと思って我慢していたが、疲れているときなど、夫の態度にイライラしてしまうこともあった。「家にいるときくらい、少しは手伝ってよ」と言うと、渋々動いてくれることもあったが、期限が迫っていたりすると逆に機嫌が悪くなり、「おれも遊んでいるわけじゃないんだ」と、声を荒げることも多くなった。

 重俊さんはますます仕事に追われ、知花さんは一人悶々(もんもん)と家事や育児に追われながら、無性に悲しくなったり、孤独を感じることが増えた。

 それでも、まだ重俊さんのことを家族のために頑張ってくれているのだと思おうとしていたし、息子にも重俊さんのように、仕事で活躍してもらいたいと思っていた。

 そんな思いががらがらと崩れ落ちてしまうことが起きる。息子が三歳の検診でひっかかり、自閉症の傾向があるかもしれないと言われたのだった。

 言葉が遅く、三歳半になっても会話が成り立たなかったが、夫に言っても、自分もしゃべるのは遅かったから、心配ないと言われ、気にしないようにしていたのだ。

 ショックとともに、もっと早く気づいて対応していればと、後悔が募った。息子をつれて療育に通う日々が始まった。知花さんは必死だった。

ところが、夫は冷ややかと言ってもいい態度で、息子の状況を報告しようとしても、煩わしそうにするのだった。夫としては、障害だということを認めたくなかったのかもしれないが、どうしてこんな大事なことなのに、夫婦で一緒に向き合ってくれないのかと、知花さんは悲しかった。

それから、なおのこと息子中心の生活になった。正直、夫どころではなく、夫のことはほったらかしになった。それが、重俊さんとしては面白くないらしく、家事や食事の用意ができていないことに不満を言い、それで言い争いになることもあった。

知花さんは、発達について勉強したり、専門家に相談したりしているうちに、夫にも息子と同じ傾向があることに気づくようになった。神経質で音に過敏なところや、同じやり方にこだわるところも似ていた。無口なところや話が通じにくいのも、発達障害のせいかもしれないと思うと、納得がいくのだった。

夫にも診察を受けてほしいと言ったが、夫は、その必要はないと拒否した。これまで、優れた点に思えていた夫の集中力や知識が豊富なところも、障害特性だと説明されると、そうだったのかと愕(がく)(ぜん)とし、もっと早く知っていたら、この人と結婚しただろうかと思ったり、夫と結婚していなかったら、子どもにまでつらい思いをさせないで済んだかもしれないのにと思い、まったく自覚のない夫に対して、余計に腹が立つのだった。

 重俊さんは帰ってくるなり、何も言わないまま飲酒するようになり、関係は悪くなる一方だった。最近では、些()(さい)なことをきっかけに、お互いを罵(ののし)り合うということが当たり前になり、それに息子が反応して、自傷行為をするようになった。自分が築こうと思っていた明るく幸せな家庭とは、あまりにかけ離れた現実に暗(あん)(たん)とし、知花さんは、すっかりふさぎ込むようになってしまったのだ。

 

カサンドラ症候群とは

従来の医学的なカテゴリーで診断をすると、知花さんは、うつ状態(うつ病エピソード)や適応障害といった診断名をつけられることになる。通常の医学モデルでは、あくまで症状を呈している人が患者だとみなされ、患者の病気が診断されるのである。

しかし、知花さんの症状だけをみて、病気と診断しても、知花さんが抱えている問題を的確に把握したと言えるだろうか。知花さんのうつ状態やイライラには、夫の重俊さんに気持ちが受け止めてもらえないもどかしさが、大きくかかわっている。実際、同じように子どもに障害が見つかったという場合でも、夫婦がともに支え合うことを通して、いっそう絆(きずな)を深める場合もある。このカップルでは、まったく逆なことが起きてしまったのだ。

知花さんの理想としては、困っているときこそ、互いを支え合うことで乗り越えていけるような関係を求めていた。口数は少ないが、穏やかで、冷静な重俊さんとなら、そうした関係が築いていけると思っていたのだが、現実の夫との間では、期待とは正反対なことが起きてしまったのだ。

患者の症状だけを診断するのではなく、もっと大きな視野で何が起きているのかを診断することが、こうしたケースの改善や予防には不可欠である。知花さんのように、夫の共感性に問題があるために、妻がうつやストレス性の心身の障害を呈するに至ったものを「カサンドラ症候群」と呼ぶ。典型的なのは、自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)のために、共感性や情緒的な反応が乏しいパートナーと暮らしている人に起きるものである。家族、パートナーだけでなく、子どもや同僚等、その人と深いかかわりを持たざるを得ない人にも起こりうる。

カサンドラ症候群は、医学的診断カテゴリーではないが、医学的診断よりも本質をとらえ、改善にも役立つ有用な概念だと言える。

 

カサンドラの意味と診断基準

カサンドラという比()()は、ギリシャ神話に登場するトロイ王の娘カサンドラの悲劇に由来する。カサンドラは、大変魅力的な娘で、その美しさに魅せられたアポローン神は、彼女に未来のことを予知する能力を授けた。ところが、アポローンが、カサンドラに言い寄ると、彼女は袖(そで)にしてしまう。怒ったアポローンは、カサンドラに、自分の予言を信じてもらえないという呪いをかけたのである。

カサンドラは、これから起きることを知って、それをみんなに伝えようとしても、誰にも信じてもらえず、そのもどかしさにもだえることになったのである。

こうして、いくら伝えようとしても信じてもらえないという状況に対して、カサンドラの喩(たと)えが使われるのだが、その比喩を精神的な問題を抱える女性の病理に初めて用いたのは、ユング派の心理療法家ローリー・レイトン・シャピラで、一九八八年にその著『カサンドラ・コンプレックス』において、いわゆるヒステリーを起こしている女性がおかれている心理状況について、いくら騒ぎ立てても、まともに取り合ってもらえないというカサンドラ的なジレンマがあることを指摘したのだ 。

シャピラは、カサンドラ・コンプレックスの要件として、@理知的だが、情緒性に欠けたタイプの人物との、うまくいっていない関係、Aヒステリーを含む心身の不調や苦しみ、Bその事実を他の人にわかってもらおうとしても、信じてもらえないこと、の三つを提起した。

その後、この状態は、アスペルガー症候群を代表として、共感性の低いパートナーをもつ人で起きやすいことが知られるようになり、カサンドラ症候群やカサンドラ情動剥(はく)(だつ)障害として認知されるようになっている。

マクシーン・アストンが提起した診断基準 を要約すると、@パートナーの少なくとも一方が、アスペルガー症候群など共感性や情緒的表出の障害を抱えていること、Aパートナーとの関係において、情緒的交流の乏しさや、激しい葛(かっ)(とう)や不満、虐待などがみられること、B心身の不調があらわれていること、の三つになる。

シャピラの提起した@とAだけに絞ったことになる。だが、もともとのカサンドラの比喩が意味するところは、周囲の人に信じてもらえないという苦しさであり、実際、カサンドラ症候群で苦しんでいる人の多くも、そのことでいっそう傷ついていることを考えると、シャピラの定義の方が、あまり医学的ではないが、優れた面をもつと言えるかもしれない。

わかってもらえないがゆえの苦しみ

実際、共感性や応答性に欠けた夫と暮らす苦痛を、わかってもらおうとしても、常識的な人ほど、なかなかその苦しみがわからない。そうした夫は、外見的には、理知的で、真面目で、勤勉によく働く、理想的な夫と見える場合も多いからだ。確かに口数が少なかったり、気の利いたことを言ったりすることは苦手だが、巧言令色を好まない古い道徳観から見ると、素朴で、裏表のない、いい人だと評価されてきた。

あんなに真面目で、よく働く旦那さんなのに、何の文句があるのだということになってしまうのである。不満を言っている人の方が、わがままで、問題があるのではと思われてしまう。姑(しゅうとめ)に相談しようものなら、あんな虫も殺さないような善良な息子のどこが悪いのだと、逆ネジを食らわされることになりかねない。

夫にも気持ちをわかってもらえずに苦しさを抱えるだけでなく、その苦しさを周囲の人にもわかってもらえないという二重の無理解に苦しむことになりやすいのだ。何にも言えないままひたすら我慢して、牢(ろう)(ごく)のような結婚生活に耐えているというケースも、かつては少なくなかったのではないかと思われる。

耐えられずに、その牢獄から脱出しようとする場合も、後ろ指を指されるのは、妻のほうだということが多かった。

昨今ようやく、カサンドラ症候群として、問題の構図が明らかとなり、ある面では、理知的で、善良な人物なのだが、パートナーとして一緒に暮らすときに、妻が(夫の場合もある)味わうことになる苦しさについての理解が進み始めたことは、救いへの一歩だと言えるだろう。

 

アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)とは

 カサンドラ症候群を引き起こす代表例は、夫(妻の場合も)がアスペルガー症候群を含めた自閉スペクトラム症やその傾向をもった人物だという場合だ。

 ただ、念のため断っておくが、アスペルガー症候群やその傾向をもつと、パートナーとの関係がうまくいかないというわけではない。とても良好な関係を築いている場合もある。ただ、全体で見ると、夫婦関係に困難を来しやすいということである。うまくいっているケースと、そうでないケースの違いも含めて、アスペルガー症候群のパートナーとの関係においては、どういう事態が生じやすいのだろうか。

 自閉症の傾向をもった状態を幅広く自閉スペクトラム症(「自閉症スペクトラム」という訳語が使われてきたが、もっとも最新の診断基準では、自閉スペクトラム症の用語に変更されている)といい、その中でも、知的能力や言語的能力に低下がないものをアスペルガー症候群(アスペルガー・タイプとも)と呼んでいる。低下がないどころか、非常に優れていることも多い。

 共通する特徴としては、@相互的なコミュニケーションや協調して一緒に行動することが苦手。A相手の気持ちに共感したり、言外の意味を想像したりすることが苦手、B同じ行動パターンや狭い興味にとらわれやすく、視点の切り替えが苦手。C感覚の過敏さや逆に鈍感さがある、といったことが挙げられる。

 これらの特性は、対人場面、特に親密な関係においては不利であるが、学業や職業においては有利に働く場合もある。

シリコンバレーでのアスペルガー症候群の有病率が一割を超えているという事実にも表れているように、IT産業をはじめとする高度な専門知識を必要とする領域では、アスペルガー症候群やその傾向をもった人がたくさん活躍している。

というのも、アスペルガー症候群に見られる、狭い領域に限局した関心や周囲のことを忘れてしまうほどの集中力は、研究や技術開発に不可欠な才能でもあるからだ。また、同じことを繰り返すことを好む傾向や相手の気持ちなど眼中になく、自分の考えを主張するという特性さえも、テクノロジーや学問の進歩のためには好都合とも言えるのだ。彼らにとって、人がどう思うかよりも、その事実が正しいかどうか、真理であるかどうかが優先される。感情の機微を理解するのは苦手でも、技術や科学の世界では、融通の利かない一徹さの方が有利に働く面も多いのだ。

 

結婚相手としてみると

狭い領域への深い関心や没頭する能力を生かして、技術職や専門職で活躍し、それなりに成功し、高い給料も得ている人も多いので、結婚のお相手としても魅力的である。大学院を出ているなど高学歴な人にもこのタイプは多いので、学歴にこだわる人には有力な候補になるかもしれない。

性格的にはどうだろうか。アスペルガー・タイプの人は、おとなしく、控えめで、礼儀正しい人が多いので、一見すると温厚な印象を受けることが多い。予想外のことが起きたりすれば、パニックになり、癇(かん)(しゃく)を起こしたり、怒りにとらわれたりすることもあるのだが、人前ではそうした面は抑えているので、お見合いやデートで何度か会ったくらいでは、そうした面に気づくことは難しい。

約束や時間も、正確すぎるほどきちんと守ることが多く、そうした点も、誠実で、信頼ができると感じられるだろう。

ルックスについてはどうか。一般的に言われていることや筆者自身の印象で言っても、アスペルガー・タイプの人は目が大きく、整った顔立ちをしていることが少なくない。男性ホルモンが過剰に働いているとも言われ、風(ふう)(ぼう)だけをみるとイケメン(女性の場合は目の大きい美人)が多い印象である。運動は苦手な人が多いが、ランニングや水泳、格闘技といった個人競技では優れている場合もある。

イケメンで年収も学歴も高く、性格も控えめで真面目とくると、花婿候補としてほぼ及第点に達していると言えるだろう。

 

見落としていた点は何か

ただ、難点がないわけではない。それが明らかになるのは、口を開いて言葉を交わし始めたときからである。少し期待外れなところが見えてくる。あまりしゃべらなかったり、何を聞いても気の利いた答えが返ってこなかったり。かと思うと、自分の専門領域の話を滔々(とうとう)と語り出したり、こちらに話を振るという配慮に欠けていたりする。

しかし、他の印象にすでに気持ちがなびき始めていたりすると、話があまり面白くないという点くらいは、さほどマイナスには思えず、自分の専門領域の話を一方的に話したがることも、仕事に対して情熱をもっているのだと好意的に評価したくなる。相手がこちらのことをろくに聞いてこなかったことにも、目をつぶってしまう。

知り合った経緯や交際のプロセスは一人一人違うだろうが、間違いなく言えることがある。ある程度は気に入らないと、結婚しようとは思わないということだ。その人物と結婚しているとしたら、生涯のパートナーにしてもいいと思うくらい良いと思ったときがあったということになる。

ただ、その気持ちを今は忘れかけているとすると、学歴、収入、職業、ルックス、性格などの一般的な結婚の条件では見落とされていた点があり、あまり重視しなかった点こそが、その後あなたを苦しめることになったということだ。

見落としていたこととは何か。それは、気持ちや関心を共有したり、共感的な言葉のやり取りやかかわりが苦手だという点である。この関心の共有と共感的応答の乏しさこそが、その後の結婚生活の質を損なうことになってしまったのである。

 

共感的応答がなぜ重要なのか

ビジネスや技術、研究の世界であれば、共感などはむしろ邪魔なものになる。商売敵やライバルに共感したりすれば、競争に負けるだけである。顧客に対して、共感した振りをするかもしれないが、腹の中では利益を上げることを考えられなければ、ビジネスマンとしては失格だ。研究者や技術者がすべきは、どの方法や仮説が優れているかということを巡る議論であり、議論する相手に気を遣って本当のことを言わなかったり、自分の願望に合わせてデータを書き換えたりすれば、もはや科学者としては失格である。そうしたことをしてしまえば、誰であろうと、情け容赦なくその世界から追放される。「そうしたかった気持ちはわかるよ」などという共感の入り込む余地はない。

アスペルガー・タイプの人にとって、数字と結果だけで勝負が決まり、心の機微や共感といった曖(あい)(まい)なものは排除できる世界はむしろ居心地がいいのである。

ところが、親密な関係においてはそうはいかない。心の機微を感じて、相手の発っする言葉や行動に共感的に応(こた)えることが求められる。共感的に応答したからと言って、何の利益を生むわけでも、何らかの成果が上がるわけでも、新発見があるわけでもない。そういう点では、無意味な時間つぶしとも言える営みである。アスペルガー・タイプの人にとっては、無駄にしか思えないかもしれないし、そうする意味がわからない。

自分の興味のないことにはまったく関心を示さず、またそのことを取り繕うという配慮もしないというのが、典型的なアスペルガー・タイプである。悪気なく、興味のないことにはそっけない反応しか示さない。相手がどんなにあなたと関心を共有したいと望んでいても、自分の興味のないことには何の感想も言わずにスルーしてしまうのである。

ところが、後でみていくように、共感的応答は健康を維持していくために不可欠な心の栄養素なのである。特に夫婦や親子といった親密な関係で重要になる。ただ、そのニーズがとても高い人と、それほど必要としない人がいる。相手からはそれを要求するが、相手には与えないという場合もある。アスペルガー・タイプの人では、あまり必要としないので、相手にも与えないということになりがちだ。

 

アスペルガー・タイプにみられやすい他の特徴

共感的応答が乏しいこと以外にも、アスペルガーにみられやすいいくつかの特徴がある。これらも、一緒に暮らしていくうえで、パートナーにとってストレスややりにくさの原因となる。そうした特性について知っておくことは理解と受容につながるだろう。

(1)自分に興味がある話を一方的にする

アスペルガーの人は概して口数が少なく、自分から話すこともあまりないのだが、自分の興味のあることとなると、別人のように雄弁になってしゃべったりする。その場合も、相互的なやりとりではなく、一方的に自分の話したいことを話すのが特徴だ。会話を楽しむというよりも、講義を聴かされているような感じになり、相手はうんざりしてしまうこともある。

 しかし、このタイプの人にとって自分の関心はとても大事なことなので、興味を共有することが、親密な関係を築いていく上では重要な鍵(かぎ)となる。

(2)記憶力がよく、得意領域はめっぽう詳しい

 アスペルガーの人は概して記憶力がいい。そして、興味のある領域にはめっぽう詳しい。それは、とても良い点なのだが、その記憶力が自分を苦しめることもある。忘れたほうがいい不快な体験や傷つけられた言葉が頭に突き刺さったように記憶に残ってしまい、そのことを思い出す度に怒りにとらわれるということも多いのだ。このタイプの人には、否定的な言葉は、なるべく使わないようにした方がよい。

(3)過敏でこだわりが強い

アスペルガーの人は聴覚や嗅(きゅう)(かく)、触覚、味覚などの感覚が過敏だったり、逆に鈍感だったりする。過敏さゆえに、好き嫌いが激しかったり、特有のこだわりがみられたりする。他の人にはまったく気にならない音や匂いが非常に苦痛に感じられたり、肌触りや温度に敏感だったり、特定の商品や銘柄でないと受け付けなかったりということも多い。こだわりとして生かせる場合もあるが、生活の制限になる面もある。

(4)聞き取りが弱く、相手の話が頭に入らない

トラブルや支障になりやすい問題として、聞き取りが弱いということがある。かなり優秀な人でもこの傾向が見られ、相手の話があまり頭に入らない。聞いているように思っても、案外わかっていなかったりする。「言ったじゃないの」と、後で責めても、「そんなの聞いていなかった」と言われるのが落ちだ。とくに他のことをしているときには、頭を素通りしてしまいやすい。一つのことに過集中する一方で同時処理が苦手なのである。こうしたトラブルを防ぐには、メモを書いて渡したり、メールやラインで伝えるようにしたりするのがよいだろう。

(5)同じことを繰り返すのを好む

もう一つの大きな特徴は、同じ行動パターンを繰り返すのを好むということだ。新しいことにチャレンジするよりも、いつもの決まったことをするのが安心なのである。逆に急に変更したりすると、不機嫌になったり、落ち着かなくなったりする。ときには、パニックになったり怒り出したりすることもある。よかれと思って古い物を捨て新しい物に取り替えて上げたのに、罵られるということも起きる。

(6)想定外の事態にパニックになりやすい

前項の特性とも関係するが、急な予定の変更や突発事に対してパニックになりやすく、うろたえたり怒りを爆発させたりする。ことに、二つ以上のトラブルやプレッシャーが重なったりすると、強いストレスを感じ、キャパオーバーになって混乱し、思いもよらないような行動に出ることもある。失敗した上に、感情的に叱(しっ)(せき)したりすると、パニックや怒りの反応を誘発しやすい。追い詰めないことが大事である。

(7)ルールや正確さにこだわり、白黒思考になりやすい

アスペルガーの人では、自分のやり方やルールしか受け入れられない傾向が強い。それに逆らおうとしたりすれば、強い反発が返ってくることになる。もっといい方法を教えようとしても、なかなか受け入れられず、お互いのストレスを増やすだけで終わることが多い。

白か黒かの単純化した思考パターンになりやすい。また、言葉も字義通りに解釈したり、以前の発言との食い違いや正確さにこだわったりするところもある。どうでもいい細かい点にこだわりすぎて、全体が見えないという傾向もある。

これらの特性も、パートナーと衝突が起きやすい要因となる。

 回避型愛着も原因となる

アスペルガー・タイプと似たところもあり、カサンドラの原因になりやすいものに、回避型愛着スタイルがある。アスペルガー・タイプが、遺伝的要因が強いのに対して、主に養育要因などの環境要因によって生じるもので、アスペルガー・タイプよりも症状的には軽いが、ずっと頻度の高い問題である。

愛着とは、親密さを支える土台となる仕組みで、幼い頃の母親との関係やその後の体験によって、その人固有のスタイルが作られる。安定型、不安型、回避型といったものに大きく分類される。そのうちの回避型は、親密な関係や情緒的な関わりをもつことを避けようとするもので、アスペルガー・タイプ(も含めた自閉スペクトラム症)に一見似ているが、症状は軽いにもかかわらず、対人関係の困難や生きづらさが、むしろ強い場合もある。

 それに対して不安型は、過剰に愛情や承認を求め、それが得られないと強いストレスや怒りを感じるのが特徴である。不安型と回避型のカップルではギャップが生まれやすいことは容易に想像が付くだろう。実際、カサンドラに陥った女性には、不安型の人が圧倒的に多いのである。

アスペルガー・タイプの人をパートナーにもつと、いくらボールを投げても、投げ返してくれるどころか、そもそも興味を示してくれないし、愛着が不安定なパートナーでは、愛情を一方的に要求されるばかりで、自分には返ってこないということになりがちだ。

 愛着の問題がからむケースでは、自分は共感や支えを必要として相手にそれを求めようとするのだが、相手にはそれを与える余裕がないということが起きやすい。自分の生きづらさをどうにかするので精一杯なのである。

愛着が不安定化すると何が起きるか

共感的応答が与えられず、ある意味心理的ネグレクトを受け続けることで、愛着が不安定になったとき、どのようなことが起きるのか、もう少し詳しく見ていこう。

一つは、自分が受け入れられているか、愛されているかということに対する不安、つまり愛着不安が強まるということである。相手の反応や顔色、機嫌に敏感になり、相手が少しでも良い反応を示してくれると、うれしくなり、それが得られないと悲しくなったり落ち込んだりして、相手の反応に一喜一憂する。気持ちも不安定になりやすい。相手の意図や真意がわからず、混乱してしまう場合もある。自分に何かいけないところがあるのかと思ったりする。まだ愛情があるだけに、相手の問題とは思わず、自分の側の欠点を探すことも多い。

 もう一つの反応は、思うような反応が得られないことで、怒りを感じ、イライラしたり、怒りを爆発させ、相手を責めることも見られるようになる。とても大切に思い、相手のためにといろいろ考えて行動しているのに、まったくそれに応えてくれないことに腹が立つのである。ある意味、愛するがゆえに、それに応えてくれない相手が憎いとも言える。

さらに、そうした状況が続くと、求めることが空しくなり、また怒りに駆られて、パートナーを攻撃してしまう自分にも嫌悪を感じ、結婚したことや、これまで努力してきたことがすべて無意味に思えて、落ち込みが目立つようになる。どうにか日常生活や仕事はこなしているが、ただ惰性で走るしかないから走り続けているだけという状態である。本当は、何もかも投げ出したい。生きていること自体がつらくなってしまうこともある。

そして、最終段階がやってくる。パートナーに対する愛情や期待を捨て去ることで、共感的応答や思いやりの反応がない状況にも、なんとも思わなくなっていく。ただ同居している他人となり、愛情どころか、愛着さえも失った脱愛着が起きている。同居している他人でも、親しみや気遣いを感じながら、気持ちよく過ごすことはできるが、そうしたものは一切期待しない、他人以下の関係になる。こちらからパートナーに関心を示すこともなく、目の前にいても、いないも同然の存在となる。

このように、@不安や混乱、A怒りと攻撃、B抑うつ、C脱愛着と無関心、という反応が起きる。その順番は、ケースによって多少異なっていたり、同時にいくつかの反応が併存している場合もある。

ある部分では、脱愛着を起こして、前ほど期待しなくなっているのだが、怒りや攻撃の反応がときどきみられたり、落ち込んだりするというケースは多い。

きちんとした手当てがなされないまま時間だけがたったというケースでは、そんなふうになりがちだ。どうにか諦(あきら)めをつけてきたが、それでも、傷が癒()えるどころか、まだ疼(うず)いているという状況だ。生殺しにされるような、残酷な悲劇だとも言えるだろう。

精神症状として表に出るのは、主に、Aの怒りと攻撃、Bの抑うつである。Aは、かつて女性のヒステリーとして扱われた、イライラと爆発が典型的だと言える。Bは、女性のうつの重要な要因となっていると考えられる。これらが、ヒステリーやうつとして捉(とら)えられたとき、あたかもそれは、その女性の問題であるかのようにみなされていることに注意してほしい。実際には、それはパートナーの問題を反映したものなのであるが。

愛着や共感的応答の仕組みについての理解は、カサンドラ症候群を乗り越える上で鍵を握ることになるので、後の章で詳しく扱うことにしたい。(以下略)


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