▼大人の発達障害

大人の「発達障害」と付き合う

発達障害というのは、元来、幼児や児童の発達の問題について使われた用語であった。近年、子どもの発達障害が非常に増えているだけでなく、実は大人にも発達障害を抱えた人が少なくないということが指摘されるようになった。ただ、その一方で、発達障害的な傾向をもった人を、安易に「発達障害」として診断するという過剰診断の問題も指摘されている。ことに知的障害を伴わない軽症タイプの発達障害では、過剰診断が起きやすいとされる。

発達面の課題が生きづらさや不適応の原因となっていることは少なくないのは事実で、発達面の課題を理解することは大事だと言えるが、それを過剰に「障害」としてしまうのも、デメリットを生じることになる。特性として理解しつつ、ただ、ネガティブに「欠陥」や「短所」というふうには考えずに、むしろ、それを強みとして生かすことが、その人の可能性を伸ばすか、萎縮させてしまうかを左右する。

そのことは、大人の「発達障害」についても同様である。自分の特性として理解し、短所となるのを防ぐとともに、良い点を活かすというスタンスが、その人らしさを最大限に生かした幸福で恵まれた人生にもつながっていく。

発達障害では、遺伝的要因の関与が七〜八割と大きいとされるが、環境的要因も無視できるわけではない。近年では、環境的要因が数字以上に大きくかかわっていると考えられている。というのも、遺伝子は環境次第で働き方を変えるということが、常識になってきているからだ。その意味で、発達特性の理解にいては、自分の遺伝的特性を理解するとともに、環境の影響についても、十分考慮に入れる必要がある。そして、問題を改善していくという場合には、環境に配慮し、適切な刺激を与えることによって、生まれもった特性と思われていたような傾向でも、かなり変化するということだ。実際、知能や社会性といった、これまで変わらないと考えられていた能力さえも、環境や刺激次第で、大きく変わり得るのである。

 

大人のADHD

「発達障害」の一つのタイプは、不注意や多動、衝動性を特徴とするもので注意欠陥/多動性障害(ADHD)と呼ばれる。ADHDとの関連が強い遺伝的特性は新奇性探究と呼ばれる傾向である。新奇性探究とは、新しいものに対する興味関心が高く、目新しいものに強く惹きつけられる一方で、飽きっぽく、気移りしやすい傾向である。ADHDや新奇性探究と関連の深い遺伝子として、ドーパミンD4受容体の多形が知られている。多型とは、比較的高い頻度で見られる遺伝子のヴァリエーションで、たとえば、血液型のような遺伝子のタイプである。それぞれのタイプの人は、一定割合ずついて、それ自体が異常というわけではなく、特性だと考えられる。一定割合ずついるということは、それぞれのタイプが生き残りに有利な点をもち、どれか一つが優れているとか劣っているというわけではないということだ。ドーパミンD4受容体には、DNAの繰り返し配列が長いタイプと短いタイプがあり、長いタイプの人では新奇性探究が強く、ADHDになるリスクも高いのである。

 新奇性探究は、生まれもった要素が強いと言える。ただ、遺伝的にすっかり定まっているわけではなく、やはり環境からの刺激によって、変動する部分もある。もっとも重要なのは、幼い頃の養育環境で、虐待を受けたり、思いを受けとめてくれない環境で育つと、ドーパミンD4受容体遺伝子の反復配列が長いタイプの人では、特に行動の問題がひどくなったり、反抗的になったり、親との関係が不安定になりやすい。逆に、同じタイプの遺伝子をもつ人でも、共感的な養育を受け、家庭環境も安定している場合には、行動の問題が特に増えることはなく、親との関係も安定している。一方、反復配列が短いタイプの人では、養育環境の影響は比較的小さい。つまり、新奇性探究の傾向をもつ人では、養育環境の影響がいい方向にも、悪い方向にも出やすいということである。

 昔から、憎まれっ子世に憚るというが、自分の意思をしっかりもって主体的に行動しようとするタイプの人は、悪い方向にいくと、非行少年になったり大悪党になったりするが、いい方向に向かうと、リーダーとして活躍するということも多い。新奇性探究の傾向をもった人では、環境次第で大きな違いを生むと言える。その意味でも、このタイプの人は、自分を上手に活かす環境を選ぶ必要があるし、また、自分の周囲にそうしたタイプの人がいる場合には、その人の特性を踏まえた上で、活かす関わりをすることが大事だと言える。

 近年の研究で、大人のADHDの多くが、12歳以降に始まっており、発達障害ではないことがわかってきた。その多くは、気分障害や不安障害、依存症、自閉症スペクトラム、愛着障害などによって生じた疑似ADHDが”誤診”されたものだと考えられている。特に虐待などによる愛着障害のケースでは、大きくなってからADHD様の症状が出てくることがわかってきている。したがって、成人にADHD様の症状が認められる場合には、いつごろから始まっているかをよく確認したうえで、症状が幼いころよりも12歳以降に強まっている場合には、発達障害以外による可能性が高いと考えられる。ただ、残念ながら、専門家さえ、そうしたことを踏まえて、的確な診断が行える医師は非常に少数にとどまっているのが現状である。


 うつや適応障害の要因にも

 近年、子どものときにADHDがあった人では、大人になったとき、うつや躁うつなどになりやすいことがわかってきた。子どもの多動や注意の散りやすさが、思春期頃から情緒不安定な傾向になり、さらに大きくなると、うつや気分の起伏なって現れるのだ。

 遺伝的要因が共通する可能性もあるが、養育環境が要因として共通する可能性も浮上している。幼い頃の不安定な養育環境は、親との関係が安定しない愛着障害を引き起こすが、愛着障害の子どもには、ADHDや行動障害を伴いやすい。さらに、愛着障害の子どもが、思春期を迎える頃には、情緒面の問題が目立ち始め、気分の起伏やうつ、自傷行為などがみられるようになる。

 このように、ADHDからうつになるケースの一部は、愛着障害が、より根本的な原因となって引き起こされたものだと考えられる。

 もちろん、一部には本当のADHDのケースも存在する。成人するまでは、一見順調に育ってきたのだが、就職して、あるいは管理職になって、仕事がうまくこなせなくなり、うつとして治療を受けているが、よく話を聞いたり、検査をしてみると、子どもの頃、ADHDの傾向があり、現在も、ADD(注意欠陥障害)に伴う遂行機能障害が認められるというケースに出会う。注意欠陥障害とは、ADHDで見られる多動症状はないものの、不注意の症状が続いているもので、それによって、事務的な処理能力などに支障が出やすい。遂行機能障害とは、与えられた課題をてきぱきと処理する能力で、遂行機能障害があると、ミスが増えたり、作業に時間がかかり、能率が悪くなる。不注意も遂行機能障害の要因になる。

 うつ状態自体も不注意を悪化させたり、遂行機能を低下させるので、もともとADDがある人では、余計にミスや能率ダウンが顕著になる。

 こうしたケースは、子ども時代は養育環境や教育環境に恵まれていたため、ADHDの遺伝的傾向をもっていたにもかかわらず、行動上の問題はそれほど顕著にならず、小学校四、五年くらいには、すっかり落ち着いて、学校での成績も良かったと考えられる。しかし、就職して、責任や負担が増大すると、不注意や遂行機能の問題が、次第に足を引っ張るようになり、ミスが増えたり、問題処理能力の停滞となって、仕事に支障が及んでしまったと考えられる。近年、こうしたケースも増えている。

 まずうつ状態の改善が重要である。うつ状態があると、不注意や遂行機能障害が、いっそう強まってしまうからである。そのうえで、ADD(注意欠陥障害)自体の改善という根本的な治療も行なっていく必要がある。

 最近、成人でも、ADDを改善する薬を使うことができるようになった。これは、ドーパミン系を刺激して前頭葉の機能を高める作用があり、また従来の薬に比べて安全性も高い。不注意がひどく、学習しても頭に入らないといったケースでも、顕著な改善が期待できる。意欲や根気にも改善が見られることが多い。

  ただ、全体でみると、成人のADHDでは、薬物療法の効果が児童よりも低いうえに、長期的な効果はないことがわかっている。まず、本当にADHDであるか、正確な診断が前提だが、そのうえで、副作用や依存のリスクを十分検討し、認知行動療法やニューロフィードバック・トレーニングなどを試みたうえで、どうしても改善が難しいケースに限って使用されるべきだろう。

大人の学習障害

全般的な知能に比べて特異的にある領域の学習能力が低下しているものを、学習障害という。多くは年齢とともに改善するものの、大人になっても障害が一部残っていることが多い。改善しやすい能力と改善しにくい能力があり、子ども時代に学習障害があると、改善しにくい部分が残りやすい。

たとえば、読字障害と呼ばれるタイプがある。文字を読むことが苦手なタイプだが、普通、読みだけでなく、綴り字も苦手である。さらに、もっと幼い頃には、話し言葉の発達が遅かったことが多い。しかし、小学校に上がる頃には、話し言葉には問題がなくなり、本を読んだりするのが困難である。だが、さらに年齢が上がるにつれて、青年期に達する頃には、読む方にはあまり支障がなくなることが多い。しかし、書字(綴り字)が苦手な傾向は大人になっても残りやすい。

知能は優れているのに、ひどく稚拙な字を書く場合とか、書字の間違いが多いという場合には、書字障害ということになるが、子どもの頃に読字障害がなかったかを振り返ってみる必要があるし、さらにもっと幼い頃言葉の遅れがなかったかを、親に確認してみたほうが良いだろう。

人によっては、言葉の遅れはなく、読字障害や書字障害だけが見られる場合がある。重症度を考える上で、どの年齢でどの障害が残っているかが、大きな目安になる。成人した後も、読むのも苦手という場合には、やや重い読字障害だと言えるが、読むのは問題ないが、書くのだけが苦手という場合には、障害の程度は、比較的軽いということになる。

学習障害がある人では、子どもの頃、気が散りやすく、落ち着きがなかったり、不器用だったり、体の動きがぎこちなかったりすることが多い。

 

 読字障害と書字障害

 読字障害は、文字や文を滑らかに読んだり、それを理解する能力が特異的に低下しているものをいう。読むスピードがゆっくりで、何度も閊えてしまったり、最初の言葉がなかなか出てこなかったりするのが特徴である。読み落としや読み違い、書かれていないものを読んだりすることも多い。もう一つの特徴は、読んだ内容が頭に入りにくいことで、読解力も低下している。

 先にも述べたように、読字障害があっても、大人になった段階では、ある程度改善していることが多い。しかし、読書のスピードがゆっくりだったり、書かれたものを読んでも、頭に残りにくく、よく理解できなかったりする。そのため、説明書などが付いていても、読もうとはせず、実際にやってみながら、体で使い方を見つけていくというやり方をとる。綴り字が苦手な傾向がみられることが多い。

 読字障害がある場合には、眼球の動きがスムーズでなく、そのため視野が狭くなりすぎてしまっていることが多い。その結果、文字を流れるように読むことができない。眼球の動きをトレーニングしたり、視野を広くする訓練を行うことで、顕著に改善する。子どもの頃からトレーニングすると効果が高いが、大人でもある程度効果がある。

 だが、何よりも自然なトレーニングは、読書をすること自体であり、読書の楽しさに目覚めると、急激に改善することが多い。その人にとって、面白くて、読むことの困難を忘れさせるような本に出会うことが、重要である。

 読字障害があり、十五、六歳まで、本を読むのが大嫌いだった子どもが、分厚い本を次々読破するようになるケースにも多数出会ってきた。

 書字障害は、読字障害よりも遅れて改善し、さらに努力と訓練の積み重ねが必要である。ワープロの普及は、書字障害の人にとっては、大きな福音だが、訓練の場が奪われてしまう面もある。

 成人のケースで苦労するのは、履歴書のように、どうしても手書きで文字を書かなければならない場合である。特に、相手の目の前で領収書を書いたりすることは、大きなプレッシャーとなる。数字なども、読みにくい癖字であることが多く、ミスの原因にもなる。事務作業を伴う仕事は、どうしても苦手である。

 しかし、その一方で、読字障害や書字障害がある人は、視覚空間的な能力が優れていることが多く、美術や手先を使った技能、スポーツなどの才能に恵まれている人が少なくない。得意分野で勝負することが、活路を開くことになる。

 

 読字障害があっても、他の面での才能を活かし、活躍している人は多い。俳優のトム・クルーズや画家のパブロ・ピカソは読字障害があったことが知られている。ピカソの父親は、勉強ができないことは気にせず、息子の絵の才能に気づくこと、それを伸ばすことに意を注いだ。

トム・クルーズの場合は、読字障害があって、成績は振るわなかったが、そのとき特別支援の教師が勧めてくれたのが、学業以外のことで本人に自信をつけさせることだった。そして、演劇やスポーツをやってみてはと言われたのだ。そのアドバイスが、後のハリウッド・スターの道へとつながった。

 アメリカ大統領となったジョン・F・ケネディも、書字障害があったことで知られている。字が乱雑な上に、ミススペルが多かった。学業成績も振るわなかったが、彼には行動力があった。軍隊では、魚雷艇の隊長を務め、日本海軍の駆逐艦と衝突し、ソロモン沖を漂流したこともあった。

 ビジネスの世界で成功した人も少なくない。コピーサービスの専門店、キンコーズ(現フェデックス キンコーズ)を創立し、一大企業に発展させたポール・オーファラも、子どもの頃から読字障害やADHDがあり、小学校を八回転校し、そのうち四校では放校になるほどであった。オーファラの読字障害は重度なもので、成人しても、読み書きにかなり困難が残ったため、事務的な業務などには、まったく向かなかった。文書を読んだりすることはもちろん、長い時間坐っていなければならない会議も、彼は大嫌いである。そんな彼はどうやって成功することができたのだろうか。

 その秘密の一つは独立して起業することにあった。そして、もう一つは、細かいことは他人に任せて、肝心な大枠のところを考えることに注力することであった。人のもとで働こうとすると、彼の欠点ばかりが目立つことになった。まず、人に指示されたことが頭に入らない。文書で書かれたことは、なおさらである。彼は、彼は無能な人間とみなされてしまう。

 しかし、このタイプの人は、自分で主体的に考え始めると、独創的なアイデアを生み出す力をもっている。オーファラもそうであった。彼は、大学のコピーセンターに長蛇の列ができているのを見て、そのビジネスを思いついたのだ。彼はそのアイデアをすぐさま実行した。十平米にも満たない小さなテナントにコピー機を一台レンタルして、彼のビジネスはスタートした。以来彼は、アイデアと行動力で勝負してきた。判断し指示するのは彼であり、その代わり彼は、細かで単調な業務は、すべて人に任せたのだ。そういうことに口を挟まなかったおかげで、彼の会社はとても働きやすく、居心地がよいという評価を受けるようになる。彼は自分よりも、現場で働いてくれている人の方が、実務面でははるかに有能だということがわかっていので、その領分を侵すようなことは決してしなかったし、することもできなかった。それをむしろ活かした企業運営をしたのだ。

 

 算数障害

 算数障害は、全般的な知能に比べて、計算や数学的な能力だけが著しく低下しているものをいう。単に計算のような数学的な操作が苦手というよりも、数学的な概念が理解できないというところに、本質的な課題がある。数字という記号自体の意味が理解できない段階から、小数点や分数、xやyといった記号が何を表しているのかが理解できないという段階まで、さまざまなレベルがある。数的操作は可能だが、空間図形をイメージするのが困難という場合もある。

 算数障害は、読字障害と合併することもあるが、算数障害だけが見られる場合もある。抽象的な能力と関係が深く、抽象的な記号やイメージを扱うことに難がある。具体的な事物に置き換えて、イメージしやすくすることで、理解を助けることができる。つまり、教授法や学習法により、ある程度、克服が可能である。数学が苦手ということで、劣等感や自己否定を抱きやすいが、偉大な業績を上げた人物でも、数学が苦手だった人は多い。精神医学者のカール・ユングや進化を発見した博物学者のチャールズ・ダーウィンなど、いくらでも名前を上げることができる。決してその人の能力が低いわけではなく、一つの特性に過ぎない。必ず他の領域に、優れた面があるはずだ。

 ユニクロ創業者の柳井正氏も、高校時代、数学が苦手だったという。他の科目は好成績なのに、数学だけは、二十点、三十点しか取れない。零点をもらったこともあるという。柳井氏はどうしたか。苦手分野で勝負せずに、得意分野で勝負することにしたのだ。国語、英語、社会で受験できる私立文系に的を絞り、みごと早稲田大学政経学部に進んでいる。

 柳井氏の数学が苦手は、もちろん算数障害というレベルのものではないが、程度の差こそあれ、能力の偏りを「障害」とみなすことには、慎重でなければならない。オールラウンドな能力をもつ人が、必ずしも一番すぐれて、有為な人材というわけではない。偏りからこそ、特殊能力がうまれるということは多い。数学が苦手だったユングやダーウィンが、科学の分野にブレークスルーをもたらしたということは、数学という篩で、科学者や研究者になる人材を選別することは、有為な才能を弾いてしまう危険があるということだ。科学においてさえそういう状況である。ましてや他の分野においては、数学という物差しは、ほとんど役に立たないと言っていいだろう。

 

大人のアスペルガー症候群

 働く年代の発達障害として、もう一つ重要なのは、アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラムである。自閉症スペクトラムとは、自閉症よりも軽症だが、その傾向をもった状態のことを言い、「広汎性発達障害」という言い方をする場合もある。広汎性というと、すべての面で発達に問題があるように受け取られてしまうなかもしれないが、実際には、社会性の面での発達に課題があるもののことである。アスペルガー症候群は、その中でも、知能や言語的な発達に問題がないものをいう。むしろ知能が優れているケースも多い。

 大きな特徴としては、対人関係で周囲となじんだり、歩調を合わせるのが苦手であるという社会性の面での課題と、もう一つは興味や行動のレパートリーが狭くなり、こだわりが強いという課題である。どちらも、さらに根源的な一つの課題から派生している。それは、相手や周囲の気持ちを理解したり、それを共有するということの難しさだ。相手の気持ちを、相手の立場で理解する能力は、心の理論と呼ばれたり、共感性とも呼ばれる。

 心の理論や共感性の面での発達が弱いことにより、人と歩調が合いにくかったり、自分の関心や好みの行動パターンにばかりとらわれてしまうのである。コミュニケーションをしていても、一人で独演会をしているうように一方通行になりがちで、自分の興味のある話を一人でまくしたてるが、こちらから話をふると、反応が返ってこなかったりする。

 興味や行動のこだわりは、度が過ぎるほどで、思い通りにできないと、本人にとっては強いストレスになり、時にはパニックなってしまう。

 概して神経は過敏な傾向があり、緊張や不安を感じやすい。特に、物音や臭いに敏感なことが多い。周囲の人にとっては心地よいBGMが気になって、集中がひどく妨げられたり、疲労を覚えるということも少なくない。

 こうしたデメリットの面もあるのだが、逆に強みの面もある。

 それは、一つには、興味のこだわりの強さから生まれる。狭い領域に、深い関心をもつので、専門家や技術者として大成するのには、とても都合が良い面があるのだ。ことにその興味は、人よりも物に向かいやすく、他の人があまり関心を払わないようなことにも面白みを見出す。

実際、研究者や学者、設計技術者やIT技術者、医者や法律家、会計士などには、アスペルガー症候群の診断基準を十分満たす人が少なくない。シリコンバレーでは、アスペルガー症候群など自閉症スペクトラムの有病率が一割を超えると言われている。

このタイプの人は、専門技術や資格がなければ、とうてい社会でやっていけないほど、社会的には不器用な面をもつのだが、職業人としては立派に成功している。そして、仕事を通して、社会性の面でも訓練され、中年に達する頃には、そうした傾向も、パッと見には、あまり目立たなくなっている。

 その意味で、このタイプの人では、自分の特性や興味にあった領域を深め、それが専門技能や資格として通用するレベルまで高めることが、社会で成功するための鍵になる。

 もう一つの強みは、行動へのこだわりから生まれる。秩序やルールに対するこだわりの強さは、やはり技術的な領域にプラスになるが、それ以外にも、物事を管理したり、メンテしたりする分野に役立つケースもある。管理職や経営者として手腕を発揮する場合もある。ただ、そのためにはある程度の社会性を身につけられるように、訓練する必要がある。

 さらにもう一つは、共感性の乏しさが、逆に有利に働く場合だ。共感性が強いと、周囲の空気や相手の気持ちを読み取り過ぎて、それに合わせて行動してしまうということになりがちだ。すると、どうしても平均的な発想や判断しか生まれない。オリジナリティに賭けてしまう。しかし、周囲がどう思う過よりも、自分の興味にしか関心がない場合には、誰も思いつかないような視点で物事を発想しやすい。

 時代を変革するようなアイデアは、ほとんどこのタイプの人が生み出したと言っても過言でない。特に時代の変化が早くなり、大量の情報を扱うことが必要な時代にあっては、アスペルガー的な才能をいかに生かすかが、企業の将来をも作用する。

 アメリカなどの強みの人は、このタイプの人をとても優遇し、働きやすい環境を整えていることだ。逆に日本のように、横並びに意識が強く、すべての社員に平均的な能力を求めてしまう社会は、このタイプの人にとっては住みにくいと言えるだろう。

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