子どもの発達、児童期・思春期の悩み

 子どもの「症状」は、助けを求めるサイン

小さな子どもは、抵抗力や適応力が乏しい分、無理がかかるとすぐに「症状」となって表れます。症状は、ときには、周囲を困らせる行動という形をとることも少なくありません。また、そんなことをして、と叱りつけるだけでは、せっかくの回復のチャンスを潰してしまいます。それは、助けを求めるSOS、サインでもあるからです。

子どもはめまぐるしく成長を続けています。発達の課題が見えてくることも多いのですが、成長途上にある分、それを取り戻すチャンスも大きいのです。遅れていたはずの子が、平均を追い越してしまうということも起きます。発達の課題をあまりネガティブに考えすぎたり、もう決まったものと思わないことも大事です。子どもの脳は大きな可塑性と限りない可能性を持っているのです。それを大切に伸ばしていきましょう。

思春期に差し掛かるころには、また別の難しさが浮上してきます。それは、子どもが自立へ向かおうとすることから生じるものです。子どもは自分の主体的な人生を模索しはじめているのです。そこで、小さいときと同じように、支配し過ぎてしまうと、子どもの主体性を歪めてしまい、子どもはアイデンティティを確立し、自立を成し遂げるという課題をうまくこなせなくなってしまいます。幼児期にはしっかりかかわり、小学校に上がった頃から、徐々に自立を意識した関わりにチェインジし、思春期に入った頃には、主体的に行動できるように準備をしていきましょう。
 

    岡田尊司『子どもの心の病を知る』より    

 二つの歴史が出会って

すべての命は、二つの歴史の出会いから始まる。

母となる女性が誕生したとき、すでにその体内には、一生の間に排卵される卵子が宿されている。彼女が成長し、大人になって、愛する人に出会う日を、ひそかに待ち続けるのである。

長い時がたって、父となる男性と結ばれたとき、彼女の体に放たれた数億もの精子は、卵子を目指していっせいに遡行を始める。毎分二、三ミリという速度で、長い旅をした末に卵子と出会うのは、卵管膨大部と呼ばれる、卵管が広がった大広間である。そこまでたどり着ける精子の数は、三百から五百。そのうち卵子と受精できるのは、ただ一つだけである。

受精は、二つのものから一つのものが生まれる、小さな奇跡のドラマである。

精子を待ち受ける卵子は、太陽のコロナのように表面を取り囲む放線冠に保護されながら、ゆっくり回転している。精子は果敢に卵子にとりつくと、先端から放出する酵素によって放線冠を溶かしていく。一個の精子が力尽きると、別の精子が次々と後に続く。放線冠の内側には、さらに透明体と呼ばれる膜が卵子を覆っている。幸運な精子がそれを貫通し、卵子にたどり着いた瞬間、膜は固く閉ざされ、他の精子はもう中に入ることを許されない。そして、閉ざされた膜の内側で出会った一対の精子と卵子は、一つの命に融合する。新たな命の誕生である。

生物学的にみれば、それは父と母の遺伝子が半分ずつ、一つの命に授けられる営みである。だが、人の命においては、それだけに留まらない。そこで一つに結び合うのは、遺伝的情報だけではない。二つの命の歴史が、その瞬間一つに結び合うのである。望むと望まざるとにかかわらず、誕生した命は、その二つの歴史を背負うことになる。

 同時に、新しい命は新しい自分の歴史を生み出していく。一日一日自分自身の命の時を刻んでいくのである。ただ、新しい命自身は、自らの歴史が生きる時間とともに始まったことさえ知らずに、母親の胎内で目覚めの時を待ちながら眠っている。十ヶ月後、小さな産声とともに、この世に生まれ出る日を待ちながら。

命、この尊きもの

 あなた自身もまた、二人の親の出会いから命を授けられた。多くの方は祝福され、両親の愛情に包まれながら、この世に生み出されてきたことだろう。だが、万が一、あなたが望まれもせずに、厄介者のようにこの世に生を受けたとしても、あなたもまた、一つの小さな奇跡から誕生したのである。それは、もう二度と起こらない、たった一度だけの出来事なのである。

 それから、あなたはさまざまな体験をしながら、ここまでの道のりを歩んできた。喜びや悲しみ、怒りや不安、さまざまなことを乗り越えて、とにかく今日まで生きてきたのである。その過程においては、あなたが背負うことになった二つの歴史が、良きにつけ悪しきにつけ、あなたの人生に影響を及ぼしてきたことだろう。親に大切にされ親を愛している人も、親に愛されたいのに素直にそう言えずにきた人も、親にそっぽをむいて、必死に強がって生きてきた人も、あなたはあなた自身の人生だけでなく、多くの人の人生に巻き込まれ、振れ回されながら、長い旅路を歩んできたのである。

その中で、あなたは、知らず知らずのうちに、あなたの生きる術というものを身につけてきた。それは、あなたの今の生き方、子育てや夫婦関係、恋愛や人付き合い、仕事にも反映されている。あなたを守るためのものであったかもしれないが、あなたの人生を損なっている場合もある。それを知っておくことは、さまざまなトラブルを防ぐことにもつながる。

これから、生まれ出た命が育つプロセスをたどりながら、そこで陥りやすいさまざまなトラブルや障害について、みていきたい。それは、あなたの子どもや身近な人がたどっている道程であると同時に、あなた自身がたどってきた道のりでもあるのだ。

第一章 子供の発達と愛情の大切さ

 

狼少女の悲劇

 一九二〇年、インドの西ベンガル州の村に奇妙な噂が流れた。狼と一緒に四つ足で駆け、家畜を襲う奇妙な姿の生き物を見かけたというのだ。それは、人間の子供に似ていた。噂を聞いて、真偽を確かめようと、森を訪れたシング牧師は、狼と共に洞穴から出てきた謎の生き物をその目で見る。それは、紛れもなく人間の子供で、しかも女の子だった。狼を倒し、少女を保護しようとしたシング牧師らに、少女は、狼さながらに四つ足で立ち、歯を剥き出してうなり声をあげた。だが、やがて、少女は抵抗する気力も体力も失って、大人しくなった。

牧師らが狼の巣穴を探ってみると、そこにはもっと幼い少女がいた。保護された二人の少女はカマラとアマラと名付けられ、牧師夫妻の営む孤児院で育てられることになる。まだ一歳であったアマラは、翌年病気で亡くなってしまったが、カマラはその後九年間生き、世に「インドの狼少女」として知られる驚嘆すべき記録を残したのである。それは、子供の養育と発達を考える上での貴重なケースとなった。

当初、カマラは四つ足で歩行し、生肉にむしゃぶりついた。聴覚や嗅覚が異常に鋭く、明るい場所よりも暗がりを好んだ。言葉は無論、激しい怒りや空腹以外に、感情らしい感情や知的な興味も示さず、さながら野生動物のようであった。しかし、根気強い牧師夫妻らの世話によって、カマラは次第に安心を覚えるとともに、牧師らになつき、三年後には二本足で立つようになり、四年後には、逆に暗闇を怖がるようになった。七年後には生肉を食べることも止め、片言の言葉もしゃべれるようになったのである。しかし、それは、同じ年齢の子供と比べるまでもなく、挽回不能の発達の問題を残したのである。

狼少女の悲劇が示すように、人は、必要な時期に適切な養育と教育を与えられないと、本来の発達を遂げることができなくなってしまう。それは、後で取り返すには、大変な努力を要することになるのである。  

 ソフトマザーとハードマザー

アメリカの心理学者ハーロウは、仔ザルを使って、母性が子どもの成長に果たす役割を研究した。

生後間もないマカクザルの仔ザルは、母ザルから離されると、育たずに大部分死んでしまう。だが、針金に布を巻いて哺乳びんを取り付けた母ザルの人形を置いておくと、仔ザルはそれに抱きついて乳を吸い、育つことができる。ハーロウは、哺乳びんは付いていないが、やわらかな布で覆われたソフトマザーと、哺乳びん付きだが針金がむき出しのハードマザーのどちらと、仔ザルが長い時間を過ごすかを調べた。すると、意外にも、仔ザルたちはソフトマザーの方で長く過ごしたのである。お乳を吸う以外に、仔ザルは抱きつき、支えられる対象を必要としたのである。

しかし、人形の母ザルによって生き延びることができた仔ザルも、社会的な行動がうまく行えず、妊娠出産しても育児に無関心であったり虐待したしたりした。アカゲザルを使った研究でも、生まれてまもなく母親から引き離された仔ザルは、不安行動が強く、新しい体験や仲間に対して臆病であり、過度に攻撃的で、孤立すると自傷行為や常同行動を繰り返した。

ハーロウの行った仔ザルの観察は、人間の養育にもすっかり当てはまるのである。母親の愛情と養育は、子どもの基本的な安心感や社会性の土台となる力を養う上で決定的な役割を果たすのである。

母性的献身と愛着の発達

イギリスの児童精神科医ウィニコットは、非行や精神的、性格的な問題を抱えた人には、深刻な愛情剥奪体験(愛着の対象であり愛情や世話をしてくれる存在を奪われる体験)が多いことを臨床経験の中で知り、子どもの健全な自我の基盤の形成に、母親の全身全霊をこめた愛情が非常に大切であることを説いた。彼は、子どもの成長に抱っこ(ホールディング)が果たす役割の重要性に注目し、「抱っこ」が「共に生きる」原点であり、他者との関係を築く出発点であることを強調した。重篤な性格障害の人などでは、幼い頃、しっかりと守られ、支えられる「抱っこ」の環境が損なわれていたことを、多くのケースの治療の中で明らかにした。

愛情剥奪や見捨てられ体験の影響は、その子が大きくなってから起きる場合でさえ心に浅からぬ傷を残すが、母親をもっとも必要としている早い時期に、母性的な愛情を奪われることは生涯にわたって深刻な影響を残す。

そうした体験は、比較的短期間のものであっても、免疫系や内分泌系、脳や身体の成長にも支障をきたす。成長ホルモンの分泌が低下して成長が止まったり、免疫力が低下して病気がちになったり、脳の発達も遅れを生じやすくなるのである。

実際、深刻な愛情剥奪を経験した子どもたちは、小柄で、体も弱いことが多い。発達の遅れも見られ、知的発達の遅れもよく見られる。四、五歳になっても、オムツもとれず、這っていることもある。幼い子どもにとって、母親は、まさに育つ力の源なのである。

母親が亡くなるとか、離別するといったことがなくても、愛情剥奪や見捨てられ体験は起こる。ありがちなのは、母親自身が自分の問題で手一杯になり、子どもに関心が向けられなくなった場合である。兄弟に病気や障害があって、母親の愛情や関心がそちらに独占されてしまうことも同じ結果を生む。そのときは聞き分けもよく、我慢しているので、親はこの子は心配ないと思って、本人の寂しさに気づかないことも少なくない。小さい頃一番しっかりしていた者が、甘えそびれて、後で問題を起こすというケースは、後の章でみるように非常に多いのである。

脳という奇跡

神経系の発達は、体の発育などとは少し違う経過をたどる。図のようにお腹の中にいる頃から急速に発達し、四歳頃までに構造としてはおおよそ出来上がるのである。ただし、それは配線のつながっていないICチップだけのようなもので、その後の学習によって、ネットワークが完成していくのである。それには、十五歳から十八歳頃までかかる。

生後数ヶ月まで、脳ではシナプス(神経と神経のつなぎ目)が過剰に形成されるが、そのうちの使われるものだけが生き残り、使われないものは失われていく。「刈り込み」という現象である。青年期の終わりに脳が完成してしまうまでに、どのシナプスが生き残るかは、その子の成長過程での体験と学習にかかっている。つまり、体験と学習が脳を作っていくのである。

子どもは大きな可塑性(変化する力)を持つが、それは、まだ配線が出来上がっていないため、いかようにでも回路をつなぎ直すことが可能なことによる。ことに四、五歳ころまでの脳の可塑性、吸収力は極めて大きく、その時期に身につけたものが生涯を支配するといっても過言ではない。この極めて吸収力の高い時期を「臨界期」と呼ぶ。言語について言えば、母国語として身につけるためには、臨界期に触れる必要があると言われる。ただし、臨界期を過ぎても、ネットワークの完成する十八歳までの時期は、脳が柔軟で、学習能力が旺盛である。

子どもの旺盛な吸収力の源は、高い模倣能力にある。小さい子どもは、どんなことであれ、すぐに真似してしまうのである。脳にとって善と悪の区別はない。与えられるものを与えられるままに吸収してしまう。しかも、それは単に行動の模倣に留まらない。脳のネットワーク自体に組み込まれていくのである。子どもにとって、環境がいかに大切かは、脳のそうした特性を考えれば一層痛感されるだろう。(後略)

第二章 落ち着きのない子  ADHD  

 子供とは、大体元気で落ち着きのないものである。「今から、大人しくてどうするんだ」とか、「大人しい方が、心配だ」という一方で、やはり学校に行くようになっても、ちっとも机の前にじっとしていられなかったり、勉強に上の空だったり、忘れ物ばかりしているのを見ると、段々心配になってくるものである。

ただ、子供は発達の途上にある存在である。日々、心も体も、そして脳も成長を遂げているのである。実際、元気で落ち着きのない子供も、年齢が上がるにつれ、いつのまにか落ち着いていき、小学校上学年くらいでは、かなりの割合の子が落ち着いてしまう。がさがさして教室をうろつき回っていた子に同窓会で会ったら、別人のように温厚で、穏やかな人物になっていたりする。しかし、中には、年が上がっても、どこかそそっかしく、衝動的だったり、行動的だったりして、昔の悪戯小僧の名残を色濃く留めていることもある。

 子供は、十人十色の発達を遂げるのであるが、親の方としては、子供の行動に「こんな悪いことをして」とショックを受け、兄弟や余所の子と比べてつい不安になり、この先どうなるのだろうかと気を揉むものである。ましてや、先生から「困っています」と言われたりすると、親はすっかり焦り、ときには悲観してしまう。

 星の王子さまやトットちゃんも

『星の王子さま』や『夜間飛行』の名作で知らされるサン・テグジュペリも、小さい頃は手のつけられないヤンチャ坊主で、暴れん坊であった。片時もじっとしていられず、騒々しくて、乱雑で、反抗的で、さわる物は何でも壊してしまうか、精々汚してしまう。余りに悪戯や悪さがひどいので、周囲の者はとても心配したという。いつも威張り散らしていたので、家族から「太陽王」と呼ばれ、彼の座る指定席の「玉座」まであった。

だが、その一方、好奇心旺盛で、常識的な考え方に囚われない「リトル・プリンス」は、生涯子供の魂を持ち続けたサン・テグジュペリその人の分身でもあった。サン・テグジュペリ少年が通うことになった修道院付属の学校は、規則が厳しく、彼はまったくなじめなかった。トラブルばかり起こし、教師の指導にも従わず、すっかり「問題児」とみなされてしまう。

サン・テグジュペリ少年のようなケースは、現在、「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」として理解されている。ADHDは、多動や衝動性と不注意を特徴とするもので、学童期の数%の子どもに認められる。頻度から言えば、非常にありふれたものということになる。男の子に多く、女の子の十倍近い頻度で認められる。

「多動」は、片時もじっとしていられず、動き回ったり、音をたてたり、物にさわったり、他の人に干渉したりする。「衝動性」は、我慢ができず、自分の思いのままに行動することで、順番を待ったり、人の話を聞いたり、危険なことや場違いなことを後先考えずにやってしまう。「不注意」は、注意を持続することの難しさとして表れ、上の空で、大ざっぱで、根気がなく、すぐに他のことに気が移ってしまうのが特徴である。サン・テグジュペリ少年も、典型的なケースだったと言える。

『窓ぎわのトットちゃん』の作者でも知られる、タレントの黒柳徹子さんも、幼い頃、学校になじめなかった。『トットちゃん』に描かれている少女は、とても好奇心旺盛で、活発で、絶えず周囲に起こっていることに目を奪われているので、授業中であろうと思わず窓の方に駆け寄って、外で起きていることに歓声を発してしまうのだ。そんな天真爛漫なトットちゃんが、軍国主義式の学校では浮いてしまったのも無理はない。

詩人や作家、科学者や実業家の伝記を読むと、この類の子どもだった人物が、非常に多いことがわかる。天真爛漫さや活動性、好奇心、常識に囚われない自由な発想といったものは、それがうまく生かされると、大きな美質、長所となるのである。

脳の発達と心の問題

ADHDは、現時点の医学では、脳の機能的な発達の問題と考えられている。行動をコントロールする大脳皮質と下位の脳を橋渡しするネットワークが十分発達していないため、衝動性や多動性を引き起こし、注意を維持し、危険を回避し、合目的的な行動を続けることが苦手になるのである。馬車に喩えれば、馬と御者はいるが、両者を結ぶ手綱がつながっていなかったり、御者の手綱さばきが未熟で、おまけに居眠りばかりしていたりという状況に似ているだろう。御者のいない馬は、ニンジンを見れば横道にそれ、そっちの方に突っ走ってしまうのである。

もっと年齢が上がって、大脳皮質と下位の脳を結び合うネットワークが完成してくると、御者の手綱さばきもしっかりしてきて、一貫した行動を、道草を食ったりせずに行えるようになる。したがって、脳の発達という要素が大きいのである。その時期をなんとか乗り切れば、段々落ち着いてきて、大部分は自然に収まってしまうのである。

しかし、実際に問題が深刻なケースでは、脳の問題だけというより、むしろ、心の問題がからんでいる。そして、心の問題とは、子どもの場合、その子が置かれている環境や愛情の問題を映し出したものである。

例えば、サン・テグジュペリ少年のケースで見ても、彼の問題行動を強める要因が、養育や教育の環境にあったことがわかる。

サン・テグジュペリの父親は、戦争で早く亡くなり、母親は父親の忘れ形見でもあるサン・テグジュペリ少年に、すべての愛情を注ぎ込んで大切に育てた。周囲の目には、それがとても「甘やかしている」ように見えたという。父親のいない分の愛情を補おうとして、つい行き過ぎるということは起こりがちなことだ。それをいいことに、サン・テグジュペリ少年は、どんどんわがままをエスカレートさせる。自分には父親がいないということに気付くにつれ、サン・テグジュペリ少年の心に微妙なねじれを生じ、余計反抗的で乱暴になった面もあったようだ。

 そんなサン・テグジュペリ少年が通うことになったのは、規則の厳しい修道会付属の学校で、その学校で過ごした時期は、彼にとって人生最悪の体験となった。当然、彼はトラブルを起こし、押さえつけようとする教師に反発して、事態はこじれる一方だった。

 状況が好転したのは、少年の望みを受け容れて、母親がサン・テグジュペリ少年を、まだ新設されたばかりの、もっと自由な空気の学校に転校させてからだった。彼はそこで、導き手となる教師に出会い、生活も落ち着くと同時に、文学にも目覚めて、詩や短編小説を書くようになる。

「トットちゃん」の場合も、お母さんが、問題の所在が本人よりも、むしろ環境との不適応にあることを見抜いて、素早く的確な対応をとったから、問題をこじらせることなく、本来の長所を伸ばすことにもつながったのである。

 しかし、現実のケースでは、しばしばあべこべの対応がなされることも多いのである。次の事例は、陥りやすい間違った対応がとられてしまったケースである。

問題がどんどん悪化するケースでは、発達上の問題と愛情や養育、教育現場の問題がからまりあっていることが多い。本人の抱えている問題の正しい理解がまず必要である。その場合、ただ発達の障害として取り扱うことは、片手落ちになる。むしろ、背後にある環境面の問題が改善されると、子どもは劇的に落ち着くのである。

 このケースの場合も、義母が思い通りにならないF雄を一方的に問題視するのを止め、本人の寂しさや義母自身の心の焦りに目を向けるようになってから、落ち着いていった。義母は、父親を介して叱ってもらっていた対応を改め、本人と直に向かい合い、むしろ、父親が気まぐれな対応をすると、本人をかばうようになったのである。その後、母親と本人は実の親子以上に大切にし合う間柄になった。

恵まれた家庭に多いパターン

落ち着きのない子が、どんどん問題を膨らませるというケースは、一見もっと恵まれた家庭においてもみられる。そうしたケースも、少し踏み込んでみると、子どもの気持ちがないがしろにされている状況が明らかになってくる。

坂道を転がり落ちないために

ADHDだけがあっても、ほどよい厳しさと十分な愛情でもって、本人を大切に見守っていけば、大抵はいい方向に落ち着いていくものである。十歳で落ち着く子から、もっと時間がかかる子までいろいろだが、ある時期がくると別人のように成長していく。

 ところが、変な方向にこじれてしまうケースは、必ず愛情や養育に歪みを抱えている。もっとも典型的なのは、この二つのケースでもみたように、愛情不足や押さえつけ、虐待がある場合と、過保護や甘やかし、過大な期待がある場合である。このどちらも、純粋な天使のような子どもを、冷酷な悪魔のような存在にしかねないのである。

 ADHDの子どもの一部は、親や大人に対して反抗的な態度をくり返す「反抗・挑戦性障害」(ODD)に移行すると言われる。さらに、その一部は、非行を繰り返す「行為障害」(CD)に移行する。このように「破壊性行動障害」(DBD)が悪い方に進行することを、「DBDマーチ」と呼ぶが、将来そうした事態にならないためにも、愛情と厳しさの両方を忘れずに、子どもに接することが大切である。(非行については、後の章を参照)

 「診断」の功罪

 「トットちゃん」のように、注意が散漫で、落ち着きのない子も、現代の診断基準では、ADHDが推定されるのだが、そうした「診断」には、どこか身も蓋もない感じがつきまとう。発達途上の子どもの「診断」は、諸刃の剣となりうるのである。問題が紛糾して、どう対処すればいいのかわからないようなときに、その問題に「診断」を与えることは、その子の理解が得られやすくなり、対処の仕方や方針がはっきりして、安心感や改善効果をもたらす一方で、「診断」が、絶対不変のもののように強く作用し過ぎると、かえって自然な成長を妨げてしまう危険もある。

 サン・テグジュペリやトットちゃんの例からもわかるように、仮にADHDという「診断」がつけられるにしろ、それは、その子のごく一面的な特徴や問題点を表しているのに過ぎない。その子の豊かな個性全体から見れば、ADHDという「診断」は、ごく一部を表す、しかも一時的ものでしかないのだ。子供は絶えず成長し、変化していく。余り固定的にとらわれすぎずに、その子自身を見て上げることが大切だと言える。それに、こうした診断名自体が、十年もすれば、変わってしまっている可能性も高いのである。

【サブタイプと予後】

 注意欠陥/多動性障害には、不注意が目立つ「不注意優勢型」、多動や衝動性が目立つ「多動性・衝動性優勢型」、両者が混じった「混合型」がある。「不注意優勢型」では、受動的な対人関係を示しやすい。「多動性・衝動性優勢型」では、無鉄砲な行動が目立ち、ケガや仲間はずれに遭いやすい。「混合型」では、学業成績などがもっとも低下をきたしやすく、破壊的行動障害に発展しやすい。年齢とともに改善する場合、多動性や衝動性がまず改善し、不注意は年齢が上がっても症状が残りやすいとされる。乱雑で、片づけが苦手で、始終忘れ物をし、あれこれ手をつけるが根気がなく、上の空になることがよくある人は、もしかすると、昔、このタイプの子どもだったのかもしれない。ただし、大人になってから、回想だけで「診断」するのには慎重でなければならない。

【データ】

 有病率は、学齢期の子どもで三〜七%とされ、男子の方が圧倒的に多い。IQには大きなバラツキがあり、非常に低いものから、天才的なレベルの知能をもつものまで幅広い。虐待やネグレクト、脳炎などの感染症、妊娠中の薬物摂取などがみられる場合がある。出生児の低体重とADHDは無関係とされるが、個々のケースでみる要因が推定される場合もある。その場合は、成長とともに、改善するので、気長に見守ることも大事である。

【症状の類似する疾患】

 落ち着きのなさや不注意を示しやすい他の主な障害としては、知的障害、学習障害、広汎性発達障害がある。これらとADHDが合併していることも少なくないが、知的障害、広汎性発達障害がある場合には、通常、ADHDの診断は付加されない。学習障害は、次項に出てくるように特定の学習(たとえば、算数や漢字)にだけ支障がみられるものである。

【対応と治療のポイント】

 A 本人への接し方

@ 本人を受け止め、悪循環を断つ

 トラブルを頻発させることで、周囲から否定的に扱われ、どんどん劣等感や対人不信感を募らせるという負のスパイラルに陥っている。また、このタイプの子では言語化して自分の気持ちを言う能力が乏しい。そのため、行動で周囲を振り回すことにもなりやすいのである。まず、本人の特性を理解し、その気持ちを受け留め、自分をわかってもらえている、認めてもらえるという安心感を回復することが第一である。

A 本人に考えさせる

 このタイプの子の場合、叱りすぎに陥りやすい、むしろ、少しでも頑張ったことを認め、褒めることを増やすこと重要だ。ただし、、いけないことはしっかりと叱れることも大事だ。メリハリのある対応が求められる。叱る場合、感情的になったり、体罰を与えて思い通りにさせようとするのではなく、本人に何がいけないのかを考えさせ、語らせるようにするのが成長を促しやすい。子どもだけの問題とするのではなく、親やかかわる大人の問題としても受け留め、ともに悩み、ときには一緒に悲しむことが、本人に気持ちを切り替えさせるきっかけとなる。

B 成長したい思いを引き出す。

 自分に対して自信をなくし、周囲を困らせる方向で自分を示すようになるのは、非常に痛ましいことである。だが、そうした子も、本当はもっと前向きな形で自分を発揮したいのである。その子が望むことを試みてみたり、その子の得意なことを伸ばすことで、状況が変わることは多い。その子の成長したい思いを引き出すことで、大きな変化が生まれるのである。

B 薬物療法

 知能や脳波に問題がなく、生活や学習面での支障が大きい場合には、薬物療法の対象になるが、近年、その傾向が認められるという程度で、きちんとした発達検査も行なわず、問診やチェックリストの検査だけで、薬物の投与が行われるケースが急増しいる。明らかに過剰診断や誤診のケースも、多く経験している。成長に影響したり、依存性の問題もあり、長期間に服用が及ぶことが多いので、慎重な判断が必要だろう。

C 周囲の理解と環境調整

 家庭や学校で居場所がなくなっている場合、本人の問題を説明し、周囲に理解をもってもらうことが非常に重要である。自分が受け留められていると思うだけで、方向が変わりやすい。

三章 頭は悪くないのに勉強が苦手な子 学習障害

勉強が苦手と一口で言っても、その中身はさまざまである。ADHDがあったりすると、知能自体は高くても、集中や根気が続かず、結局、授業も上の空で、勉強も手に着かないので、成績は振るわないということになりがちだ。だが、ADHDがあっても、興味を示す学科には、高い集中力を示して、その科目だけは優れているという場合もある。多くはADHDの改善とともに、成績も改善することはよく見られる。

勉強が苦手な子どもの場合、原因の一つとして注意しておかねばならないのは、「学習障害」とよばれるものである。誤解されやすいことだが、学習障害とは、学習が苦手だということではない。学習障害とは、知能や他の学習能力が正常であるにもかかわらず、ある領域の学習能力だけが、特異的に低下しているものをいう。

 たとえば、喋ったり、読んだりするのは、まったく普通か、ときには平均以上に優れているのに、小学校一年生レベルの漢字を書くのにも、ひどく難渋するという人がいる。こういう人の場合、マークシート式であれば、大学に合格できる得点を取れるのに、記述式の試験だと、ひらがなばかりの文章になってしまい、低い評価しか貰えない。これは、「書字障害」と呼ばれるものである。その他にも、文章を読むことが困難な「読字障害」、計算だけが極端に苦手な「算数障害」がある。

こういう障害があると、学校時代、ひどく辛い思いをしていることが多く、強いコンプレックスを抱いている。脳の機能的障害なので、通常の練習では、いくら努力しても、なかなか改善しない。周囲が早く気づいて、その子にあった訓練を行うことが重要である。最近では、専用の訓練プログラムも開発されている。

学習障害を、人に知られないように隠している大人の人も少なくない。書字障害などがあると、字を書くことを求められる場面を避け、そのために仕事が長続きしなくなっていることもある。人間関係に消極的となってしまう場合もある。適切な理解が普及することが、今後求められる。

学習障害だったピカソ少年

二十世紀が生んだ最大の芸術家の一人であるパブロ・ピカソも、ADHDに加えて、学習障害を抱えていたことが伝記や評伝の記載から推測される。

 パブロ少年にとっても、学校は「試練の場所」だった。「彼はいつも落ち着きがなく、規則を守るのをいやがり、ほとんど従わなかった。そして好きなときに席を立ち、窓のところへ行ってガラスを叩くのだった」このタイプの子どもには、よくあることだが、パブロ少年も時間が早く進めばいいのにと、授業中も時計ばかり見ているか、落書きに熱中した。彼はすでに、天才の萌芽を見せ、大人のような完成度で対象を描くことができた。だが、勉強となると、読み書きも算数も全くダメだった。中学校の入学試験では、知り合いの試験管が、彼を合格させようと手心を加えて出題した足し算の問題を、全問不正解してしまった。頭を抱えた試験管は、答えをカンニングさせようとしたが、それを書き写すのにも、パブロ少年はひどく苦労するありさまだった。

当時、パブロ少年が落書きと一緒に書き残した詩や手紙の文面を見ると、文を書く能力において、パブロ少年が決して劣っていないことがわかる。したがって、彼の成績不振の原因は、読字障害と算数障害によるものだった可能性が高い。

 こうした勉強での挫折は、パブロ少年に拭いがたいほどの劣等感を植え付けても不思議はないのだが、幸いにして、彼の場合そうはならなかった。一つには、画家だった父親が、息子の天賦の才能に気づき、最初から勉強には重きをおかず、息子の長所を伸ばすことの方に関心を注いだからである。

偏った能力というものは、短所にもなれば、長所にもなる。短所を否定するか、長所を伸ばせるかで、子どもの運命は大きく変わっていく。

【データ】

 アメリカのデータで、公立学校の児童の約五%が該当する。

【対応と治療のポイント】

 本人の障害に応じた学習プログラムで、学習を行うことが必要である。劣等感や自信喪失をきたしやすいので、本人に合わせた目標設定をおこない、達成感と自信を味わえるようにすることが大切である。

第四章 友だちと遊べない子 自閉症スペクトラム

1.視線を合わさない子 自閉性障害

『わが子ノア』は、自閉性障害をもつ息子ノアと父親の悪戦苦闘の日々をえがいたドキュメンタリーである。ノアは一歳頃まで一見普通に発達しているようだった。徐々に発達の遅れがみられ始める。首が座ったのは四ヶ月を過ぎてからであった。話しかけても、ノアが目を合わせようとせず、何の反応も示さないことに、両親は不安を抱き始めていた。這い這いや歩行の開始も遅く、動きが不器用だった。ことに言葉は、二歳になっても、ほんの二、三語しか喋らない。診察の結果、自閉症という診断が下されたのだった。

自閉性障害は、生後まもなくから、他者とふれ合い、交流する能力の発達がうまくいかないことを特徴とする状態で、言語的なコミュニケーションだけでなく、視線や表情や身振りや身体接触による非言語的なコミュニケーションにも障害がみられる。かつては、かなり大きくなるまで、障害の存在に気づかれないということも多かったが、最近では、検診時のチェックや知識の普及により、親側から医療機関や相談窓口を訪れ、早期に診断されるケースが増えている。

脳は年とともに可塑性が小さくなっていく。自閉性障害を初めとする発達障害においては、早い段階で障害を発見し、できるだけ早期に、適切な療育を開始することが、発達を助け、後のトラブルを防ぐことにもつながる。また、親側にも育児支援やカウンセリングを行うことで、親が余裕を回復して、ある程度の見通しをもって育児に取り組めるようになる。逆に、親が精神的に追いつめられると、それは結局子どもにも悪影響を及ぼしてしまう。 

症状と早期発見のマーカー

自閉性障害を診断する場合、血液検査をしたり、脳の断層撮影をしたりして診断するわけではない。対人関係や遊び、コミュニケーション、運動や言語の発達などから総合的に判断するわけである。ことに診断の上で、ポイントとなる目印(マーカー)が知られている。

ゼロ歳の段階で多く見られるのは、反応が乏しいということである。話しかけても、そっぽを向き、関心を示さない。抱っこを自ら求めることもない。抱っこしようとしても、自分から体を預けてこないので抱きにくい。視線を向けてこない。などが、よく見られる特徴である。また、運動機能の発達の遅れも伴いやすく、首据わり、這い這いや歩行の開始が遅れることが多い。

一歳になると、母親を追い求め愛着行動が始まるが、自閉性障害では愛着行動が乏しく、むしろ一人でおいておかれる方が機嫌良くしていたりする。「手がかからなかった」という言葉はよく聞かれるものである。一歳児では、ほしい物や相手に見せたい物と相手の顔を交互にみる動作(合同注意とよぶ)が見られるようになるが、こうした合同注意が認められないことも特徴である。

もう一つ重要な特徴は、言葉の遅れである。通常、この時期には幾つかの単語を喋るようになり、二語文もみられるようになるが、自閉性障害では言葉の遅れが次第に目立ち始める。中には、中折れ型と呼ばれ、途中まで順調な発達を示していたのに、言葉が出なくなってしまうこともある。また、一歳の後半から、子ども手近にあるものを動物や車などに見立てて遊ぶようになるが、そうした想像遊びも見られない。言語とともに発達する象徴機能の発達が遅れるためと考えられる。

二歳の段階では、言語やコミュニケーションの発達の遅れとともに、自閉的な傾向がより明らかになる。一人で遊ぶことを好み、他人に関わられることをあまりうれしそうにしない。目を合わせようとせず、他の人がいても、まるで一人だけ別の世界にいるようである。その一方で、偏った興味や固定化した行動様式が見られ始める。それを邪魔されると、癇癪(パニック)を起こして、大騒ぎになったりする。

三、四歳になると、先に述べたことに加えて、集団へ入っていけずに、孤立的に行動してしまうという傾向が顕著になってくる。言葉の遅れも、よりはっきりしてくる。約半数は、自分から話すことをせず、相手が言う言葉をただオウム返しに繰り返す(言語反響と呼ばれる)だけのことも多い。話し言葉の遅れに比べて、読み書きや計算はむしろ優れている場合もある。

これらの問題が見られる場合には、早めに専門家や保健師、発達障害者支援センター、児童相談所などに相談することをお勧めする。

自閉症の世界

 自閉症の子ども(あるいは、大人も)の世界は、そうでない存在とは違うルールと原則をもった世界だともいえる。その特性が理解できずに、一般の子どもと同じ感覚で接してしまうと、パニックを引き起こし、強い警戒心を与えてしまって、その後に傷痕を残すことにもなりかねない。そうならないためにも、自閉症の世界とはどういうものかを知っておいてほしい。

@意味理解の乏しさと混沌とした世界

 自閉性障害の人では、言語的な理解力が非常に乏しい。ごく簡単な言葉でも、早口で言われたり、いくつものことを同時に言われたりすると、実際にはまったく理解できていないことが多い。熱心なお母さんが一生懸命、本人に言い聞かせているのだが、本人の方はただ叱られている、お母さんが怒っているとしか思っていないこともよくある。ことに抽象的な意味や関係性の意味を理解することが苦手である。たとえば、肩を触られて、それが、親しみや励ましの意味をもつということがわからず、脅かされたと感じてしまう。人は世界を、事物や行為そのものとしてではなく、関係性における意味として理解している。それが苦手な自閉性障害の人にとって、世界はとても混沌として、予想のつかないことが襲ってくる、脅威に満ちたところと感じられるのである。

A狭い指向性と未分化な知覚

 自閉性障害の人は、とても知覚が鋭敏である。ことに、音に対してとても神経質である。時計の音や些細な物音を気にしたり、微かな風景の変化にも注意をとめる。言葉はまったく会話にならないのに、上手に歌を歌ったり、聞き覚えで楽器を演奏したりすることもよく経験することだ。だが、その一方で、感覚が麻痺しているとのか思うほど、鈍感な一面を示すこともある。名前を呼んでもまったく気づかなかったり、痛みに無頓着だったりする。一見正反対に見える二つの現象は、自閉性障害の人が、指向性の高いマイクロフォンのように、感覚の知覚においても、狭い指向性をもつことによると考えられる。

 そうした狭い指向性とともに、彼らの知覚には、一種の警戒システムとして背景雑音を拾う仕組みがあるようだ。そこでは、「無様式知覚」とよばれる非常に未分化な知覚が働いており、視覚とか聴覚とか触覚といった区分の曖昧な感覚を気配のように感じ取っている。それによって、安全であるかないかを見分けているのである。

 ドナ・ウィリアムズという女性の書いた『自閉症だったわたしへ』には、両親か言い争う傍らで、自閉症の少女がどんなふうに、そのやりとりを聞いていたかが書かれている。

 「母が口を開くと、いつも部屋中が震えた。わたしは、ことばそのものは聞いていなかったかもしれない。だが、ことばの向こうの気配や人の心の声は、聴こえていたのである。」

 しかし、こうした指向性の狭さや未分化な知覚様式は、危険を回避する上で不利な面をもつ。人は次に起こることを予測しながら行動しているが、知覚範囲が狭いということは予測しない出来事が起こりやすいということである。また、危険でないものを危険と受け留める錯誤も起こりやすくなる。

 B心の理論の欠如と自他の混乱

 自閉性障害の人では、相手の立場と自分の立場の混同がよくみられる。自分が何かを食べたいときに、「ママ食べたい」と言ったり、「上げる」「くれる」の使い方が逆になってしまう。

 相手の立場にたって、気持ちや行動を推測するということがむずかしい。自分という座標軸だけで考えてしまうのである。

「サリーとアン課題」と呼ばれるシナリオを使った検査がある。サリーが、カゴの中におやつを入れてやってくると、おやつをこっそり箱の中に隠した。サリーが立ち去ったあと、アンが現れて、おやつを別に箱に移した。そこへ、サリーが戻ってくるのだが、はたして、サリーはどちらの箱を開けるでしょうというのである。子どもたちに問うと、幼い子どもでは、移し替えた方の箱だと答える。年齢が上がるにつれて、最初に隠した方の箱だと答えられるようになる。その境目が四歳だと言われている。

 ところが、自閉性障害のある子どもでは、四歳より大きくなっても、おやつが実際に入っている方の箱だと答えてしまうことが多い。話の文脈の中で、その人の立場に立って、心の動きを推測するということが苦手なのである。

 他者の立場にたって、その気持ちを推測する機能を「心の理論」という。心の理論が発達することによって、他者への共感や配慮も可能になるのであるが、この障害があると「心の理論」の発達がうまくいかないのである。

 C具体性志向と象徴機能の乏しさ

 自閉性障害では、言葉の発達の遅れにみられるように、具体的な事物ではなく、それを置き換えた概念を扱うということができにくい。それは抽象化する能力の乏しさや象徴を用いる能力の乏しさともつながっている。したがって、一般化した言い方や表現は、自閉性障害の子どもには理解しにくいことが多い。できるだけ具体的な言い方で、事物に即して説明して上げる必要がある。

 その一方で、具体的な事物自体に対する観察力や記憶力が桁外れに優れていることもある。一目見ただけの風景を、写真のように記憶して絵に描くことができたり、一度耳にした音楽を、鍵盤の上で再現したりする。

 D強迫性とパニック

 このように、意味が理解できず、混沌とした世界に暮らしている自閉性障害の子どもたちは、どうやって自分の安全感を確保しようとするのだろうか。その重要な手段が、同じ行動様式を守り続けるという方法である。映画『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じた青年のように、自閉性障害の人は固定的な行動パターンに強くこだわる。それが、邪魔されると混乱し、ついにパニックに陥る。この強迫性が、集団や社会への適応の足を引っぱることになる。

 自閉性障害の人がパニックを起こしやすいのは、強迫性だけでなく、先に述べた意味理解が苦手なことや狭い指向性にもよる。

パニックを防ぎ、適応力を高める

自閉性障害において、周囲が一番困るのは、ときどき予想のつかいない行動をとったり、パニックを起こすことである。パニックが起こりやすいのは、前項で述べたような理由によるので、それを防ぐためには、その子の世界のありようを理解して、安全感を急激に脅かさないことが基本である。指示や規則はできるだけ具体的なしかたで、絵や図を使って示すのが効果的である。一度にいくつものことを言わずに、短い言葉で一つのことを伝えるようにする。互いの間で一定のルールを作っていくことで、生活をスムーズにできる。

また、予想のつかいない行動が起こりやすいのは、狭い関心や視野にとらわれ、周囲の状況や意味を理解しないままに、行動してしまうためである。ボタンを押すのにこだわる子では、非常用のボタンを目にすると押してしまったり、欲しい物や触りたい物があると相手に断りもなく手を伸ばしたり触れてしまい、トラブルになるということもよくある。そういう場合に叱りすぎることは逆効果で、固執させることになる場合もある。安心感や愛情の不足がそうした行為を助長している場合も少なくないので、むしろ、その行動自体に焦点を当てるよりも、その子を脅かしている背景的な要因をさぐり、その点を改善した方がよい結果がみられることが多い。 

【データ】

 有病率は、およそ千人に一人の割合とされるが、近年増加傾向にある。四分の一の症例に、てんかん発作がみられる。てんかん発作の出現は青年期に多い。

【症状の類似する疾患】

 同様の症状を示すものとして、レット障害、小児期崩壊性障害、アスペルガー障害がある。レット障害は、生後五ヶ月までは正常に発達し、運動や対人的関心においても正常な発達が途中までみられるものの、生後一年目以降、一旦発達した機能が失われていくものである。小児期崩壊性障害は、さらにもっと後まで正常な発達を遂げた後(二歳以上十歳以下、多くは三、四歳)、言語や対人関係、運動、排泄などの機能を失っていくものである。アスペルガー障害は、次の項で取り上げるが、言語発達の遅れや認知機能の障害がなく、より高い社会適応性を示す。

第五章 頭はいいけど、言葉のキャッチボールが苦手 アスペルガー症候群

 自閉症スペクトラムの中で、知能や言葉の発達に問題がないタイプをアスペルガー症候群と言う。特定の領域に関心が深く、知識も豊富だが、自分の興味のあることを一方的に喋るばかりで、双方向のコミュニケーションがとれないのが特徴だ。こだわりの強さや、対人関係での不器用さ、しばしば体の動きや手先の不器用さも伴う。


 ひきこもりの青年
 母親に暴力を振るったり、物を壊したりするために、家族とともに医療機関の外来を受診した青年Eは、骨張った顔をうつむかせ、こちこちに緊張していた。体の動きや表情、声の発し方が、どこかぎこちなく機械仕掛けのような印象を与える。質問には丁寧だが、教科書でも読むような一本調子な口調に答える。ところが、母親が口を挟むと、荒々しい言葉を投げつける。高校を中退したまま引きこもった生活をしているという。

 だが、まったく家から出ないわけではない。大の鉄道マニアで、珍しいSLが走ると聞けば、北海道の方まで写真を撮りに出向いていく。鉄道や電車の知識は常人離れしていて、「歩く時刻表」さながらに、細かいダイヤまで記憶していた。最近は、パソコンに熱中していて、パソコンの知識は玄人はだしである。

 仮死分娩で誕生。体が弱かったこともあって過保護に育てた。小さい頃から人見知りの強い方で、新しい環境に馴染むのに暇がかかった。他の子と遊ぶより一人で図鑑を眺めたり、ブロック遊びをしたりするのが好きだった。不器用で、逆上がりがなかなかできなかった。球技のようにチームでする運動は特に苦手で、ドッジボールは一番厭だった。絵を描くのは好きだったが、定規を使わないと線が引けなかった。小学時代は友達が何人かいたが、一緒に遊んでいるときも、TPOに関係なく、自分の言いたいことを一方的に叫んでいるという感じだった。中学校になると、友達がいなくなり、学校が面白くなさそうだった。得意だった社会や理科も、段々ぱっとしなくなった。不良グループからいじめを受け、中二の途中から学校を休むことが多くなった。

 何とか高校には進学したが、興味のあること以外一切しなくなり、結局落第したのを機に辞めてしまった。それから、ずっと引きこもった生活が続いているという。

 細かい規則がいろいろあり、その通りに家族がしないと、立腹して荒れる。心配性の母親が、本人にアドバイスしようとすると、血相を変えて怒る。ときには、暴力を振るってくる。母親は息子がどうしてこんなことをするのか、さっぱりわからないと涙ながらに訴える。だが、母親以外の前では、借りてきたネコのように大人しい。

 ここに紹介したE青年のようなケースも、@相互的コミュニケーションや親密な対人関係を築くことの障害A柔軟性に欠けるこだわりや限局性の興味を特徴とする「アスペルガー症候群」の典型的な一例である。こだわりが強く、コミュニケーションが一方通行になりやすいので、誤解や摩擦を生じやすい。このケースのように、学校や職場にうまく適応できずに、引きこもる場合もある。支配的で過保護な母親が、本人に口出しを続けると、十代後半くらいから家庭内暴力が見られることも少なくない。

 アインシュタイン・タイプ こだわりと集中力を生かす

 アスペルガー障害は、学者や研究者にも多いと言われている。こだわりや限局性の興味も、うまく生かされれば優れた能力となりうるのだ。余計な対人関係のない、業績だけに重きをおく世界は、このタイプの人にとって好都合だといえる。

 ニュートン、アインシュタイン、エジソン、ビル・ゲイツらにも、アスペルガー障害が推測されている。

特性の理解が最大の支え

 接し方の基本は自閉性障害のところで述べたことが、アスペルガー症候群についても概ね当てはまる。アスペルガー症候群の場合の違いは、自閉性障害とは異なって、自発性がむしろ高い場合があることだ。こうしたタイプは「積極奇異型」という名で呼ばれることもある。このタイプでは、よく喋って、積極的なので、一見「自閉症」的でないように見えるが、よく観察すると、相手かまわず一方的に、自分の興味のあることばかりを喋っていて、本当の意味でのコミュニケーションは成り立っていない。自分の知識を一方的にひけらかしたり、相手の気持ちに無頓着に、考えていることをそのまま口に出してしまったりする。そのため、反感や誤解を受けやすく、周囲からも浮いてしまい、いじめのターゲットにされやすい。そうした体験は、対人観を非常に悪いものにし、その後の社会適応に深刻な影響を及ぼすことも多い。

 そうした弊害を防ぐために、もっとも重要なことは、周囲が本人の特性をよく理解して接するということである。また、本人自身の中にも自分の特性や陥りやすい傾向を、徐々に理解して、修正できるように導いていくことが大切である。本人が問題意識を自分なりの課題として理解するようになると、行動面で大きく改善がみられる。また、本人を受けいれてくれる集団の中での体験は、共感性の発達を促し、他者への配慮や思いやりを学ぶ機会を与え、大きな成長を生む。

青年期になると、恋愛問題などで、相手の気持ちと無関係に行動してしまい、トラブルになることもある。こうした点についても、本人が信頼する存在が、適切なアドバイスを行い、自分の陥りやすい落とし穴を自覚することによって、改善していくことが多い。

【用語について】

 アスペルガー障害は、オーストリアの内科医ハンス・アスペルガーが一九四四年に「自閉的精神病質」として初めて記載したもので、現在では、アスペルガー障害は、広汎性発達障害のうち、言語的な発達の遅れや認知機能の障害のない、もっとも高い機能をもつものをさす。広汎性発達障害のうち、知的障害がない(IQ七十以上)ものを、「高機能広汎性発達障害」という言い方もする。

 第五章 誰にも懐かない子、誰にでも懐く子 反応性愛着障害

 トニィーの場合

 アンナ・フロイトは、第二次大戦が激化した一九四一年、空襲下のロンドンで、戦災によって親を失ったり、親と離れて暮らさざるをえない子どもたちのための保育所を開設し、そこでの子どもたちの様子を克明に書き留めた。それは、親と離ればなれになり、あるいは親を突然失った子どもたちに何が起こるのかの貴重な記録となった。

その中で、アンナは、トニィという子のケースを報告している。トニィは、父親が兵士として戦争に行ったのち、母親と二人で暮らしていたが、その母親が肺結核になったため、方々をたらい回しにされていた。夜尿がひどくなり、預かっていた家も嫌がるようになったため、二歳九ヶ月のときアンナの保育所に連れてこられたのである。

 アンナは次のように書いている。

「われわれが観察してみると、彼はこれまでの経験の結果、完全に、また恐ろしいほど人間に無関心になってしまったことがわかった。顔立ちは非常に良いけれども、表情がなく、たまに作り笑いをするくらいである。恥ずかしがることもないし、でしゃばることもなく、自分の置かれたところに平気でいることができ、新しい環境に全く恐れを感じていないようであった。どの人にも区別をつけることなく、誰にもしがみつかず、誰をも拒否しなかった。食べ、眠り、遊び、誰とも問題を起こさなかった。ただ唯一の異常な特徴は、すべての感情が全くないと思えることであった」(アンナ・フロイト『家庭なき幼児たち』中沢たえこ訳)

トニィは、どの職員に対しても、まったく懐こうとしなかった。この「氷のような状態」は、トニィが猩紅熱になり、他の子どもたちと引き離されて、ナースのシスター・マリーに付き添われて過ごすようになって、少しずつ崩れ始めた。トニィは、体温を測るために、シスター・マリーに、膝の上に抱かれて、肩に手を回されることを好んだ。「この特別な位置が、明らかに彼に母親の腕の中にいた時の思い出を呼び戻したのである」

このケースに見られるように、適切で持続的な愛情や養育を与えられなかった結果、愛着形成や相互的対人関係に支障をきたした状態を、反応性愛着障害とよぶ。

 その表れ方は、情緒的なひきこもりという形で表れるとは限らない。たとえば、同じ保育所のケースとしてアンナが報告したレジーという二歳八ヶ月の少年は、お気に入りだったナース、メアリー・アンが結婚して、職場を去った二週間後、彼のもとを訪れたとき、つぎのような反応を示した。レジーは彼女を見ようともせず、彼女が話しかけてもあらぬ方を見ていた。そして彼女が部屋から出て行ったドアをじっと見つめていた。その後、ベッドに腰を下ろしたレジーはこうつぶやいた。

「僕だけのメアリー・アン! でも、お前なんか好きじゃない」と。

施設の子どもたちの観察から、愛着理論を発展させたイギリスのボウルヴィによると、母親から引き離され、施設に預けられた乳幼児は、最初泣き叫んで「抗議」するが、やがて「絶望」して無反応になり、「ひきこもり」の状態に陥る。さらに分離が長引くと、母親と再会しても無視や敵意を示し「脱愛着」の状態に至る。

ボウルヴィは、こうした体験が繰り返された子どもでは、自分は愛されていない、見捨てられた、拒否されたという思いを抱くようになると述べている。そうした愛着の障害は、子供時代にみられる愛着障害に留まらず、生涯にわたって影響を及ぼすことになる。まさに、ボウルヴィが言うように、養育者との温もりのある持続的な関係が、健全なパーソナリティの発達にとって不可欠なのである。

誰にでもくっつく子・誰にもくっつかない子 二つの愛着障害

 愛着障害は大きく二つのタイプに分けられる。一つは、トニィのように、誰に対しても関係を求めようとしないか、求めてはいるが、同時に強い警戒や緊張を示し、安心して世話をしてくれる人になつけないタイプで、「抑制型」と呼ばれる。

それに対してもう一つのタイプは、誰であれ甘えられる相手には見境なく寄っていくもので、よく知らない人に対しても過度になれなれしい態度をとり、必要な警戒心を欠いているようなタイプで、「脱抑制型」と呼ばれる。このタイプの子では、表面的に愛着していた相手がいなくなっても、その面影に執着し続けることなく、すぐ別の甘えられる対象を見つけようとする。

どちらのタイプも持続的な愛着が形成されにくい点では、共通しているとも言えるが、表面的な対人関係の様式は、百八十度違うと言える。

こうした子ども時代に身に付いた愛着パターンは、大人になっても色濃く残り、パーソナリティや行動様式に反映される。抑制型愛着障害は、回避性パーソナリティやシゾイドパーソナリティの傾向へと発展しやすく、脱抑制型愛着障害は、境界性、演技性、依存性といったパーソナリティに結びつきやすいと考えられる。

トニィのその後

ところで、先述のトニィのその後を気遣われる方もいらっしゃるだろう。その経過は、愛情剥奪を受けた子どもが、どのように心のバランスをとりもどしていくかについて、深い示唆に富むものなので紹介したい

シスター・マリィとの密度の濃い関わりの中で、回復しかけたトニィだが、次なる試練がやってくる。面会の日に、他の子の母親はやってくるのに、自分の母親が現れないのを見て落胆してしまう。母親の代わりに叔母が来てくれたのも余り嬉しそうでなく、トニィは、また以前のように表情のない状態に戻ってしまう。実は、母親の病状は重く、それから間もなく亡くなってしまうのである。

トニィのシスター・マリィに対する執着は益々深まっていく。彼はシスター・マリィを絶えず独占しようとした。彼女が、他の子どもの世話をすることさえ嫌がった。他の子どもが彼女と手をつなごうとすると、「ぼくの手だよ!」と言って抗議した。その一方で、トニィのマリィへの態度は、しがみつきとともに怒りや拒否という形をとることもあった。わざと浴槽に玩具やぬいぐるを投げ込み、それをマリィのせいにしたり、寝つかせようとすると、マリィのことが嫌いだと言い、部屋から出て行くように命じる。だが、本当にマリィが出て行ってしまうと泣き出すのだった。

このように求めていながら、素直に求めることができず、怒りをぶつけたり、振り回したりするさまは、ずっと年齢が上がって、境界性パーソナリティ障害の若者が素直に相手を信頼できずに、難題を吹きかけて振り回す「試し」の状況に、とても似ている。そうした若者を相手にした場合と同様、マリィもトニィの気まぐれな感情の暴発に付き合わされて、へとへとに疲れてしまったようだ。マリィ自身、こうした関わりが、彼のためになっているか、疑うようになっていた。というのも、マリィが関わる以前のトニィは、まったく反応の乏しい子ではあったが、ある意味で世話のかからない、扱いやすい子どもだったのに、マリィが熱心にかかわるようになって、ちっとも言うことを聞かず、騒ぎばかり起こすようになったと、他の職員から見られていたからである。

パーソナリティに問題を抱えた人の援助をする場合も、まさにこれと同じことが起きる。援助していくうちに、わがままで要求がましくなり、扱いづらくなるのである。表面しか見ていない人は、そんな様子を見て、すっかり悪化してしまったと受け取ることも多い。ただの甘やかしだと非難されることもある。その時期が乗り切れずに、支える方も潰れてしまうことも少なくない。

 だが、シスター・マリィはアンナらの励ましに支えられて、この試練を乗り越える。「彼女はトニィの激しい爆発に、確かな優しさと愛情で応じた。その結果、彼の反応は驚くほど短い期間のうちに変化した。」トニィとマリィとの間で、恒常的な信頼関係が築かれていったのである。「彼は家の中で彼女から離れている時でも、彼女の存在を今では信じられるようになった。彼女が病室で忙しい時は、保育室で遊んでいた。彼か彼女がどこにいるかがわかり、いつでも走っていって、彼女を捜すことが自由にできればそれでよかった」

 目の前にいない存在を信じることができないという基本的安心感の欠如は、まさに境界性パーソナリティ障害の人を苦しめる特徴でもあることを思うと、トニィの変化はそれを取り戻すのには、何が必要かを示していると言える。さらに、トニィは成長していく。シスター・マリィが二、三日、休暇でロンドンを離れるときも、荷造りを手伝って、彼女の楽しみを自分のことにように分かち合い、マリィが出発に遅れないようにとの配慮さえ示したのである。愛している者への同一化と共感が、自分の利己的な満足にさえ優るようになったのである。

その後トニーは父親を求めるようになる。軍服姿の兵隊を見かけるたびに、駆け寄って顔を確かめ、父親ではないと知ると泣き出すのだった。だが、トニィが首を長くして再会を待ちわびた父親が姿を見せたとき、父親は若い女と一緒だった。それでも、トニィは父親に甘え、「ぼくにはママなんかいないよ。まず、パパだけがいて、それからマリィなの」と語るのだった。父親が帰った後も、息子に対しては次第に関心が疎くなっていく父親のことを、ささいな点まで理想化したのである。

こうしたケースを見ると、幼い子どもにとって、親がどれほど大切なものかを改めて考えさせる。だが、肝心な親の方は、そのことを忘れてしまうことも少なくないのである。

トニィのようなケースは、大昔の物語では決してない。この豊かな現代日本にも、こうした子供たちが溢れようとしている。

愛着障害は、虐待やネグレクトにともなってみられる場合や親や大人の都合・事情で、養育者が次々変わっているケースにともなうものが典型的である。懐かない子どもに対して、親は余計否定的に反応し、ますますこじらせていることが多い。N子のケースのように、愛着形成のもっとも重要な時期に、母親との関係が築かれず、その後引き取ったものの、うまく懐いてくれないので虐待するという例もよく出会うものである。

絶対的な愛情不足があるため、成長不良や栄養不良、虚弱、夜尿をともないやすく、愛情や関心を得る代償行為として、虚言、悪戯、盗みなども見られやすい。

第六章 母親から離れられない子 分離不安障害

不安の根源 母子分離という試練

保育や幼児教育に携わる人にとって、四月はなかなか憂鬱で大変な時期だと聞く。初めて保育所に預けられた子どもたちが、身も世もあらぬように泣き叫び、それが連日繰り返されるのである。泣き叫ぶわが子をおいて、後ろ髪ひかれる思いで立ち去る親たちにもつらい日々が続く。それでも、早い子は数日もすると、余り泣かなくなるという。だが、子どもの中には、一ヶ月も経っているのに、まだ泣いている子もいるという。

程度の差はあれ、幼い子どもは母親から離れることに不安を感じるものである。だが、余りにも度が強すぎると、社会生活へと乗り出していくことに支障を生じる。子どもによっては、ちょっと母親と引き離されるだけでも、パニックを起こしたり、うつ状態に陥ったり、身体的な症状を引き起こすこともある。愛着している人物から引き離されることに対して、強い不安を抱き、さまざまな症状や支障を生じる状態を「分離不安障害」という。

どこに行くのにも、親と一緒でないと不安で、親に四六時中くっついていようとする。一緒に眠りたがることも多い。ちょっとでも親が留守をしたり、帰りが遅かったりすると、不安になるだけでなく、不機嫌やイライラがみられることもある。

分離不安障害では、ただ物理的、現実的に引き離されることだけでなく、愛している存在が死んでしまうかもしれない、どこかへ行ってしまうかもしれない、いなくなってしまうかもしれないという不安に満ちた想像を抱き、それに囚われている。眠ることや暗がりを怖がり、愛着している人物がいなくなる悪夢にうなされることもよくみられる。

 多くのケースでは、不安を高めるような出来事に続いて、強い分離不安が表面化している。身内やペットの死、親の離婚や別居、転居や転校、家族や本人の病気などがよくみられるものである。

分離不安障害は、幼児期から学童期の初め頃に多いが、つぎのケースのように、比較的高い年齢の子にもみられる。もっと遅れて、青年期に始まる場合もある。不登校の原因になっていることもある。

【ケース】 母親の相談相手

中学一年のJ也が、体調の不良を訴えて、よく学校を休むようになった。それまで成績もよかったが、このところ勉強にも意欲をなくし、宿題にさえ手がつかないようだ。母親が外出して、少しでも帰りが遅いと、イライラした声で携帯に電話がかかってくる。母親が慌てて帰ると、泣き顔になって部屋の中をうろうろ歩き回っていたりする。母親と同じ部屋で寝たがる。食欲もない。どこか悪いのではないかと医療機関を受診したのだ。

一家は母親一人子一人の家庭で、父親とは二年前に離婚した。だが、その後も少年は元気に母親を支えてくれていたという。何か思い当たることはないかと聞かれて、母親は、もしかしたらと、二ヶ月ほど前にあったことを話した。それは、母親がガン検診にひっかかって、もしかしたらガンかもしれないと息子に打ち明けたことであった。そのとき、自分も狼狽していて、話ながら涙ぐんでしまったという。だが、J也はそのときも、黙って聞いていただけだった。それに、精密検査の結果は、ガンではなかったのだという。

 母親の口ぶりでは、悩み事があると、母親はこれまでも息子を相談相手にして、何でも話していたようだ。

J也本人に聞いてみると、母親がガンかもしれないと泣きながら話すのを聞いて、ショックを受けたことを認めた。それからすごく不安になって、勉強をしていても集中できない。いつか母親が死んでしまうと思うと、不安と悲しみで、何をする気力もなくなる。検査で違っていたとわかっても、不安が消えない。いつかはそういう日が来ると思うと、どうしたらいいのかわからなくなると語った。

だが、J也が抱く強い分離不安には、伏線があったことが、その後わかってくる。実は、母親は離婚する前後にひどく不安定な時期があって、自殺したいということを、何度かJ也の前で話していたのだ。「もう死にたい」と泣き叫んでいる母親にすがって、J也も一緒になって泣いたこともあったという。

母親は少し幼い性格で、自分の気持ちが一杯になると、相手が子どもであれ自分の苦しさをぶちまけてしまっていたようだ。好むと好まざるとにかかわらず、J也も母親の嘆きと不安の渦に巻き込まれていたのだ。母親がガンかもしれないという心配が、最後の決定的な一押しとなって、激しい分離不安を表面化させたようだった。

その後、J也の不安の強い状態はしばらく続き、同じ部屋で寝たがり、できるだけ一緒に行動しようとした。母親はJ也への接し方を変え、うっとうしがらずに安心させるように努めた結果、休むことも減り、次第に明るさを取り戻した。

母子の密着度が高い今日、分離不安を青年期になっても引きずっているケースは少なくない。ことに親自身不安が強い性格の場合、子どもはその不安のはけ口とされ、このケースのように、身代わりに不安を背負わされている場合もある。友達感覚での親子関係の陥りやすいワナである。

分離不安障害という病名はつかなくても、何をするにも母親の付き添いや助言、励ましが必要な子どもは多い。大きくなっても分離不安が持続すると、依存性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害に移行していくと考えられる。

【データ】

児童・青年における有病率は約四%で、よくみられるものである。パニック障害の母親をもつ子どもに多いとの報告もある。

 【対応と治療のポイント】

 安心感が回復すると、自然に分離不安も和らぎ、行動範囲も広がり、パニックや悪夢も消えていく。急ぎすぎないことが第一で、症状に目を向けすぎず、本人の気持ちに目を向けることが大切である。母親自身が不安定になったり、不安をかかえていることが多く、その場合、母親自身が元気になることが事態の改善につながる。十分甘えさせて、いくらでも一緒にいていいよという安心の保障から始まって、いたいときには、いつでも一緒にいられるよ、さらには、そばにいなくても、いつもその子のことを考えているから大丈夫だよという気持ちのメッセージを送り続けることである。

あるケースでは、これをお母さんだと思って持って行きなさいと、毎朝、母親が花を一輪子どもにもたせた。学校を休みがちになっていた子どもは、その花をお守りのように握りしめて、学校に通えるようになった。あるとき、その花がなくなって、子どもが血相を変えて走り出したことがあった。幸いは、花は靴箱の中にあった。すっかり萎れていた花を、その子は抱きしめるようにすると、安心した笑顔を浮かべたのである。

 症状が重い場合には、薬物療法や行動療法も行われる。

 第七章 人前で喋らない子 選択性緘黙

学校で口を利かない子

 小学五年生のN君は、学校に来ても一言も口を開かない。三年生のときまでは、内気な傾向はあったが、ふつうに喋っていたという。四年生の途中から、急に喋らなくなった。ところが、母親の話によると、家では以前と同じように、よく喋っているという。担任の先生が、電話をかけてきたとき、本人の元気のいい声が電話口から聞こえたらしく、大変驚かれたという。新しい担任の先生は、N君がいつも石のように押し黙っている姿しか見たことがなかったので、常に喋らないものだと思っていたのだ。

 N君のように、ある状況でだけ喋らない(喋れない)状態を「場面緘黙」や「選択性緘黙」と呼ぶ。新しい環境で無口になることは子どもには、よく見られるものであるが、選択性緘黙では、全く喋らない状態が一ヶ月以上続いたものとされる。学校に行き始めた直後では、さらに長く様子を見る必要がある。

 N君の場合、選択性緘黙はあっても、登校は続けている。強い相手の子どもに対しては、やはり喋れないようだが、以前からよく遊んでいる年下の子や弱い相手には、口を利くこともあるようだ。しかし、発言したり、必要な返事もできないので、次第に授業からもおいていかれるが、学校生活はなんとかやれている。というのも、N君が黙っていても、代わりにN君の気持ちや都合を代弁してくれ子が、二、三人いるからだ。周囲も、どうせN君は喋らないのでと、最初からN君の発言を期待しなくなってきている。

 N君とは対照的に、母親はとても口うるさく、自分の心配をすぐ口に出し、些細なことでも注意しないと気が済まないようだった。N君に対しても、絶えず小さなことまで指摘し続けている。N君は母親の言いなりで、母親がすべてを心配し、配慮してくれるので、自分で問題を解決しようという気はまるでないようだった。選択性緘黙のケースでは、このように、支配的で子どものことを代理的にすべてやってしまう母親と依存的な子どもの組み合わせがみられることがある。

 選択性緘黙の子どもは、不安が強く、対人接触を避ける傾向がみられる。また、アスペルガー障害などの発達障害や言語障害が合併している場合も少なくないとの報告もある。親や兄弟からの暴力のような慢性的なストレスが、原因になっていることもある。

【データ】有病率は、報告によりバラツキがあるが、一万人あたり三人から十八人。男児より女児に多く、また就学以前に始まることが多いとされるが、中学生で発症するケースもある。

【症状の類似する疾患】

 言葉を喋らない疾患として、表出性言語障害や自閉性障害などの広汎性発達障害、知的発達の遅れなども考慮する必要がある。選択性緘黙の特徴は、家族などに対しては、ある程度会話をすることである。

【対応と治療のポイント】

 話すことを無理強いしたり、意識させたりするのは好ましくない。安心させることが第一である。親の方が、先に手と口を出してしまっているような場合には、時間がかかっても、手助けを控え、本人の考えや気持ちを表現し、自分の判断で行動するまで待って上げることが大事である。

 治療的な関わり方としては、絵を描いたり、遊んだりしながら、子どもを安心させ、自然に声が発せられるのを待つのが基本的である。家族の問題が反映していることも多いので、家族面接や家族療法も併用される。不安を軽減する目的でSSRIといった薬物が使われることもある。口の形だけを真似させるところから初めて、徐々に発声の練習をする行動療法的アプローチも有効だとされる。音韻障害や言語障害が合併しているケースでは、言語療法が必要になる。

第八章 うまく喋れない子 吃音症、音韻障害、表出性言語障害

総理になった吃りの少年 吃音症

 尋常高等小学校卒の総理大臣として、一時代を築いた田中角栄氏は、演説の名手としても知られた。だが、そんな彼も小さい頃は、ひどい吃音に悩まされたことが知られている。

 津本陽の『異形の将軍 田中角栄の生涯』によると、角栄少年の吃音は、ジフテリアを病んでから始まったという。(以下の記述も同書の記載に負うところが大きい。)ジフテリアは当時多くの子どもの命を奪った恐ろしい病気である。次第に無口で、内気になり、家で遊ぶことが多くなったという。吃音をからかわれることもあった。そんなあるとき、業を煮やした角栄少年は、からかう相手を待ち伏せると、竹槍で襲いかかっていった。驚いた相手はもんどり打って溝に転げ落ち、以来すっかり恐れをなして、からかいも影をひそめたという。

 だが、吃音の方は一向に直らない。矯正法の本を読んでみたが効き目はない。不思議なことに、「寝言をいうとき、歌を歌うとき、妹たち年下の者と話すときにかげをひそめる。飼い犬に話しかけるときなどは流暢なものである」。また、怒って物を投げつけるのと一緒に、「ヤーッ」と叫ぶときも、よく声が出ることに、角栄少年は気づいたのである。

 そこで彼は、人気のない山の中に入って、放歌高吟するようになる。折しも、当時流行した浪花節の面白さを知ると、彼はそれに熱中し、自らも人前で吟じるようになる。普通に喋るよりも、節回しを付けると、人前でもどもらないのだ。また、演説調の方が、うまく喋れることに気づく。後の独特の名演説口調は、ここから生まれたのである。

 こうして角栄少年は生涯で最初の大きな試練を克服し、自信を回復していったのである。

 吃音症があって、後に作家や表現者になった人は少なくない。作家の井上ひさしさんや重松清さん、ニュースキャスターの小倉智昭さんも、少年時代、吃音に苦しめられたという。女優のマリリン・モンローは性的虐待を受けて吃音になったが、舌足らずな口調を彼女は逆に魅力にしてしまった。喋ることのハンディは、彼らを表現者にする原動力となったに違いない。

【データ】

 吃音症の有病率は、子どもで約一%。五歳前後の発症が多く、大部分十歳までに始まる。男子の方が女子より約三倍多い。

【症状の類似する疾患】

 他の知的能力に比して、言語伝達の能力が著しく低下しているものを「コミュニケーション障害」と呼ぶ。コミュニケーション障害には、吃音症以外に、表出性言語障害、受容‐表出混合性言語障害、音韻障害などがある。

 表出性言語障害は、ヒアリングは年齢相応にできるが、スピーキングの能力が文法的、語彙的、構文的に稚拙なことを特徴とする。受容‐表出混合性言語障害は、スピーキングだけでなく、ヒアリング能力も低いものをいう。音韻障害は、発音が不明瞭で正しくないものをいう。

 【対応と治療のポイント】

 五割から八割が自然に軽快する。田中角栄氏が気づいたように、吃音症状は、音読や歌唱のときや人以外の物に対して喋るときには消えることが多い。そうした方法で、自信をつけさせることも一つである。というのも、吃音症の問題は、その症状自体よりも、そのことで本人が自信をなくし、社会生活に回避的、消極的になることによるマイナスの方が大きいからである。

私が行っているのは、上手に喋ることはあまり重要でなく、何を言うかが大切だということを、繰り返し強調し続けることである。つかえようが、どもろうが自分の言いたいことを最後まで、気持ちをこめて言えばいいのだと指導し、吃音自体には、否定的な評価も肯定的な評価もしない。形式ではなく、中身や気持ちに注意を向けさせる。そして、じっくりとその人の話に耳を傾け、内容に共感することを繰り返す。近年では有効なトレーニング方法も開発され、当クリニックと提携しているカウンセリングセンターにも、専門のセラピストがいるので相談して頂けたらと思う。

催眠療法は一時的に有効だが、効果は長もちしない。

第九章 チックとトゥレット障害

チックとは突然起きる体の不随意な運動や発声で、瞬きしたり、首を揺すったり、肩をすくめたり、顔をしかめたり、唾を吐いたりといった動作をする「運動チック」と、咳払いしたり、鼻を鳴らしたり、奇声を発したりといった音をたてる「音声チック」がある。また、卑猥な言葉や罵り言葉を叫んでしまう「汚言症」や状況と無関係に決まり文句を繰り返す場合もある。運動チックだけでなく音声チックが頻回に起こり、一年以上持続しているものを「トゥレット障害」と呼ぶ。この名称は、ジル・ド・ラ・トゥレットというフランスの医者がこの病気を最初に記載したことに由来する。

一割から二割の子どもにチックはみられると言われ、六〜七歳でもっとも多い。大部分は一過性で、一年以内に自然に消えるが、トゥレット障害では回復にやや手間取る。

 チックはストレス性の要因が強いが、トゥレット障害では遺伝的要因が大きく、胎生期やストレス性の要因も関与している。

【ケース】 反抗する体

施設に入所中の小学六年生の男の子である。小学一年の頃から瞬きする仕草を繰り返すようになった。一旦治りかけていたが、父親が家に余り戻らなくなった小学三年頃からまたひどくなり、顔をしかめ、肩を揺するといった動作も加わった。最近では、「クソッ」とか卑猥な言葉を口走る。行動は落ちつきなく、目もきょろきょろと定まりなく動いている。乱暴な行動もある。施設への入所は、それが直接のきっかけだった。

いいところのお嬢さんだったという母親がやってきて、熱心に説教するたびに、頷きながら聞いている。母親の前では別人のようにいい子に振る舞おうとするが、母親の要求と子どもの現実には、だいぶギャップがある。母親の帰った後で、必ずチック症状が悪化する。

【症状の類似する疾患】

チックと紛らわしてものとして、常同運動障害、広汎性発達障害でみられる常同運動、強迫性障害に出現する強迫行為がある。音声チックは、統合失調症の独語と似る場合もある。不随意な運動は、舞踏病、脳炎後遺症などによる脳性麻痺、レッシュ・ナイハン症候群、多発性硬化症などの身体疾患や安定剤などの薬物の影響によってもみられる。

 【対応と治療のポイント】

 大部分のチックは、一過性におさまっていく。過度に意識するとかえって治らなくなる。したがって、最初のうちは、周囲の者はできるだけ気にしないようにするのがよい。余分なストレスがかかっている場合には、それを減らす。回復が鈍い場合には、他の疾患の可能性がないかを検査した上で、生活に支障が大きいときは、行動療法や薬物療法を試みる。

トゥレット障害には、リスペリドンの投与などによる薬物療法が効果的である。


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